HSインタビュー vol.7-1: 経営者(PR・メディア)島村 美緒さん「目の前のことを一生懸命やることで、すべてが繋がっていく(前編)」

HSインタビュー第7回目のゲストは、経営者(PR・メディア)島村 美緒さん
Heading Southは、「Wardrobe designed to “move” you. 『動き出す』あなたのそばに、『感動』のいつもそばに」をブランドステートメントに、ありたい自分に向かってチャレンジする人々に寄り添い、応援する存在でいたいと願っています。Heading Southが理想とする女性像「ありたい自分に向かって、しなやかに生きるひと」にクローズアップする「HSインタビュー」の第7回のゲストは、島村 美緒さんです。


ハリー・ウィンストンの国内知名度を飛躍的に向上させた立役者
島村さんは、ラグジュアリーブランドにおけるPR・マーケティング領域のプロフェッショナル。外資系PR代理店、広告代理店でのキャリアを経て、32歳のときに米ウォルト・ディズニー・パーク&リゾートのコミュニケーション・マネジャーに就任し、日本向けメディア露出の向上に尽力されます。

そして、ディズニー生誕100周年のイベントでの仕掛けたPRの成功をきっかけに、NYの高級宝石商、ハリー・ウィンストンからお声が掛かり、2002年に同社マーケティング・ディレクターとしてご転職。以降、8年にわたり、日本におけるハリー・ウィンストンのブランドイメージの向上とともに、富裕層マーケットにおけるビジネス拡大をPR・マーケティングの領域で貢献されます。

その後、ティファニー&Co.のマーケティング&PRグループ・ディレクターを経て、2013年に独立。株式会社ルッソを設立し、外資系ラグジュアリーブランドでのご経験と幅広いネットワークを活かし、コミュニケーション・コンサルタントとしてご活躍されています。

さらに、2017年には、日本が誇るものづくりのストーリーを4か国語で紹介するオンラインメディア、『プレミアムジャパン』の事業権を取得され、現在は、同オンラインメディアの代表兼発行人として、企画・編集・営業の統括もされています。

ご経歴をお伺いするだけで、思わずテンションが上がってしまうような華やかな世界の第一線でご活躍されている島村さんですが、意外にも、女子大を出たら実家に帰って結婚するつもりで、キャリアウーマンになるつもりは一切なかったそう。

一方で、お話をお伺いすると、ご転職はスカウトや引き抜きによるものがほとんど。仕事の能力が高いのはもちろんのこと、お話の端々から、ご縁を大切にされる姿勢や、相手を包み込む大きな愛情が伝わってきて、一緒に働いた方の心をがっちり掴むお人柄を窺うことができました。

プライベートでは、ご病気で一時仕事を離れた療養中に、思いかげずお子さんを授かり40代でシングルマザーに。お仕事のお話もさることながら、プライベートのお話でも、個人的にも(笑)大いに勇気をいただきました。

島村さん対談島村さんには、黒を基調とした柄ワンピースに、002 Ocra Rossaを合わせていただきました!

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HS: 今日は大変お忙しい中、インタビューのお時間を頂きありがとうございます!先ず、島村さんのご経歴を伺い、米国にてバリバリとPR・マーケティングをご担当されていたとのことでしたから、てっきり帰国子女の方かと思ったのですが、違うのですね!?

島村さん: 性格がアグレッシブなので、帰国子女とよく勘違いされるのですが(笑)、留学もしたことがなかったんですよ。実家は茨城で、茶道や着付けなど、日本文化を教える各種学校を運営していたので、海外とは無縁の世界でしたね。

HS: えー、素敵な家業でいらっしゃいますね。

島村さん: もともと、曽祖母が、地方の女性が学校に行かなかった時代に、裁縫を教える学校を始めたのが家業の生い立ちです。その後祖母が事業を引き継いで、時代の流れと共に茶道や着付けを教える各種学校に変化しました。小さい時から着物を作り、お茶や、お料理、着付けの生徒さんが周りにいる生活をしていました。

今日は洋服ですが、イベントや撮影の時は和装が多いんですよ。そんな環境でしたから、両親も私が女子大を卒業したら地元で専業主婦になると思っていたようですし、私自身もキャリアウーマンになるつもりは全くありませんでした。


HS: PRのお仕事を始めたきっかけは?

島村さん: 日本の大手広告代理店と合弁していた外資系PR会社にたまたま就職したのです。そこではP&Gのヴィダル・サスーンのPRなどを担当し、巻き髪だったのに、サスーンチームに髪をザクザク切られたりしてましたね(笑)。

他にも幾つかクライアントを担当していましたが、たまたま一緒に仕事をしたJWT(ジェイ・ウォルター・トンプソン)ジャパンという、世界最大の広告会社グループ企業からお声が掛かり、30歳のときに転職しました。最初のクライアントがディズニーのビデオ部門で、「トイストーリー」などの広告キャンペーンをいくつか担当してご縁ができました。

結婚を機にJWTを退職したところ、今度はディズニーからお声掛けをいただきました。アメリカのテーマパークのPR担当を探しているとのことで、面接を受け無事入社したのですが、「すぐにフロリダに行け」と(笑)。


HS: えー、そのときは、英語は話せたのですか?

島村さん:
いや、日常会話レベルでした(笑)。結局、フロリダのディズニー・ワールドとディズニー・クルーズライン、カリフォルニアのディズニーランドのPR担当となり、毎月、1週間から10日単位でアメリカと日本を出張で行ったり来たりの生活がスタートしました。日本のTVクルーやタレントさんなどが取材のために訪米しますから、結局、自分がアテンドするしかなく、英語力はかなり鍛えられました。


HS: わー、すごい!度胸がありますね。ディズニーのお仕事もとても面白そうですが、その後ハリー・ウィンストンへご転職されたのはどうしてですか?

島村さん御試着様々なカラーをお試しいただきました!

イベントでの成功をきっかけに、ハリー・ウィンストンからスカウト
島村さん:
2001年、ディズニー生誕100周年を祝う記念イベントの際、ハリー・ウィンストンにディズニーのアニバーサリー・ピースをダイヤモンドで作って欲しいと依頼したのです。

ディズニーは、各ビジネス領域に提携するマーケティング・アライアンス・パートナーが存在しますが、その当時、ファッションとラグジュアリーの分野だけが不在でした。パートナーがいると、そちらを優先しなければならないのですが、不在ゆえ、「ダメ元でもハリー・ウィンストンにお願いができる!」と思ったのです。

また、ディズニーは、デザインの承認が大変厳しいことで有名ですが、その頃、ディズニー・ワールドでは、映画『ファンタジア』の魔法使いミッキーの帽子が35ドルで販売されていました。「これと同じデザインなら既に承認が下りてるから、この帽子に3億円のダイヤとかつけたら、すごいプレスピースになるのでは?」と提案したら、そのアイデアを本社のヴァイス・プレジデントが面白がって承認してくれたんです。

フロリダのウォルト・ディズニー・ワールドで行われたプレスイベントでは、一般のキャスターは35ドルの帽子でレポートし、セレブが3億円の帽子を被ってくれました。これが話題となり、アメリカではメディアに大きく露出したんです。


イベント終了後、ニューヨークのハリー・ウィンストン本店にミッキーのおもちゃを持って表敬訪問し、創業者の御子息であるロナルド・ウィンストン会長(当時)にご挨拶をしました。その後、ハリー・ウィンストン・ジャパンからお声掛け頂き、2002年にマーケティング・ディレクターに就任しました。

以降、8年間にわたり、マーケティングとPRを担当させていただきました。日本では、ちょうど表参道ヒルズや六本木ミッドタウンなど、銀座本店以外に出店を広げてきた時期に当たります。


HS: それはすごいですね!イベントを通じてメディア露出にどれほど貢献されたのかがよく伝わってきます。それにしても、日本では、「憧れのブライダル・リングといえば、ハリー・ウィンストン」というイメージが定着し、今や、日本の女性が憧れるジュエリーブランドの象徴とも言えますよね。

ハリー・ウィンストンの知名度を高めるために、具体的にどのようなコミュニケーションをされたのでしょうか?


島村さん: ブランドの創業者であるハリー・ウィンストン氏はとてもユニークな商才のある方で。アカデミー賞のときにハリウッドスターが煌びやかにドレスアップしてメディアに露出するのはご存じかと思いますが、それがPRになることに気づき、初めてセレブにジュエリーを貸し出したのが、ハリー・ウィンストン氏なんです。

また、世界最大級のブルーダイヤモンドである「ホープ」をスミソニアン博物館に寄贈し、その悲劇のヒストリーに終止符を打ったなど、「キング・オブ・ダイヤモンド」のユニークなストーリーを常に様々な媒体に露出してきました。

さらに、国内外のセレブを問わず、日本でハリー・ウィンストンを身につけていただくときには、必ずブランドの名前を出してもらっていましたね。


HS: なるほど。一貫したストーリーを露出し、その傍らで、お使いになるお客様のイメージを定着させたのですね!お話をお伺いする限り、ハリー・ウィンストンでのお仕事もとても充実されていたようにお見受けしましたが、ご退職されたのは何かきっかけがあったのですか?

島村さん靴チェック普段はベージュ系のお洋服が多いとのこと。普段使いできそうな色をご検討中・・・

島村さん: 実は大きな病気をしたことで療養しなければならず、退職しました。ところが、療養中に偶然にも子供を授かったのです。高齢で初産だったのと、病気のこともあったので、出産には不安がありましたが、無事出産できただけでなく、不思議なことに病気も全て良くなりました。

婦人科系でも過去に病気を煩い、子供は難しいかもしれないと思っていたので、本当に嬉しかったですね。お医者様からは、「奇跡の子ですね」と言われました。

シングルマザーだったこともあり、子供が2歳半くらいになるまでは休職し育児に専念していました。


HS: えー、それは感動的なお話ですね!個人的にも勇気をいただきました(笑)。お子さんはさぞ可愛いでしょうね。シングルマザーでいらっしゃるとのこと、子育ては大変だったのではないでしょうか?

島村さん: 私は、たまたま実家が遠くないし、親も初孫で喜んで見てくれたので本当にラッキーでした。子育ては自分一人で抱えては絶対にダメ。頼れるものは何でも頼るべきだと思います。

今、コロナ禍でシングルマザーの方々が大変な思いをされているのをニュースで見ますが、本当にどうにかしたいという気持ちに駆られます。


HS: 本当にそうですね。私も、今回の事態で初めてその実状を知り、同様の思いを抱きました。

(後編に続く)

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【プロフィール】
島村 美緒

茶道や着付けなど日本の伝統文化を教える学校法人の家庭に生まれ、外資系PR代理店、広告代理店を経て、1998年よりウォルト・ディズニー・パーク&リゾートのコミュニケーション・マネジャーとして米ディズニー・リゾートの日本でのメディア露出に貢献。2002-2010年にはNYの高級宝石商ハリー・ウィンストンのマーケティング・ディレクターとして、コミュニケーション活動を統括し、ブランドイメージの向上と共に、富裕層マーケットにおけるビジネスの拡大に寄与した。2012年にティファニー&Co.のマーケティング&PRグループ・ディレクターに就任。2013年にコミュニケーション・コンサルタント、株式会社ルッソを設立。外資系ラグジュアリーブランドでの経験と幅広いネットワークを生かし、さまざまな企業へのコンサルティング業務を行っている。2017年には、日本のプレミアムな情報を発信するオンラインメディア「プレミアムジャパン」の事業権を獲得し、翌年株式会社プレミアムジャパンを設立。2019年に、国内最大手位のクリエイティブカンパニーである株式会社アマナと業務提携し、本格的にメディア事業に参入。