HSインタビュー vol.1: 作家 山内マリコさん 「夢を持ってしまったら、ジャンプするしかない」
Heading Southは、「Wardrobe designed to “move” you. 『動き出す』あなたのそばに、『感動』のいつもそばに」をブランドステートメントに、ありたい自分に向かってチャレンジする女性に寄り添い、応援する存在になりたいと願っています。Heading Southが理想とする女性像「ありたい自分に向かって、しなやかに生きるひと」にクローズアップする「HSインタビュー」の記念すべき第1回は、作家の山内マリコさんです。小説を書きたいという思いが積もり積もって、25歳で退路を断って上京し作家を目指した山内さん。努力して夢を叶えつつも、自然体な彼女の魅力に迫ります。
__Heading SouthのJournalを読んでくださる方の中には、仕事に忙しく、普段の読書はビジネス書が多いという方もいらっしゃると思います。私も正直、小説を読む機会はあまり多くはないのですが、山内さんの作品は情緒に響くような言葉にはっとさせられます。文章を書く時、気をつけていることや意識していることがあれば教えてください。
ありがとうございます。文章は、しつこく推敲するくらいしかやれることがないので、とにかくずっと推敲してます。読点の位置一つとっても、ほんのちょっとしたことで印象が変わるので、悩みつつ時間切れになるまで、ひたすら推敲です。そうやってクオリティを上げていくしかない……地味な仕事ですね。
__小説家の夢をどう形にしていったか伺いたいのですが、幼少期や学生時代はどんな子でしたか?
小さい頃はごく普通の、どちらかというとおてんばタイプの子でした。文学少女ではなく、テレビやマンガ、ティーン向けのファッション雑誌が大好き。だんだん映画に興味を持つようになって、中学生向けの映画雑誌も買うようになり、そこからサブカル趣味にどんどんはまっていった感じで。気がついたら一人で深夜に、レンタルビデオで借りたマニアックな映画を観て喜んでるような子になってました。
__ 小説家になりたいと思ったのはいつ頃からでしょう?
中学生の時です。思春期になると、内面が一気に複雑化しますよね。マンガではこんがらがった感情を仮託しきれなくなって、自ずと小説に手がのびるようになりました。それで1冊読み切った時、「自分にも書けそうだな」と、生意気にも思ったんですね。マンガと違って文字だけだし(笑)。本を読めば読むほど、文章が上手くなる手応えもあって。それで将来の夢は作家だわ、なんて思うようになったのですが、同時に映画も好きだから、映画監督にもなりたい。高校時代は写真ブームだったから、写真家にもなりたい。全部ひっくるめて「クリエイターになりたい!」とか言ってるようなイタい子でした。本人はクールなつもりなのですが……。90年代って若者に「夢を持て」と、過剰なプレッシャーをかけていた時代ですよね。もとの性格が夢見がちだったのもあって、とにかくいろんな夢を持っていました。
__ 映画にも惹かれていたんですね。大学は大阪へ?
はい、大阪芸術大学の映像学科に進んだものの、すぐに挫折(笑)。映画づくりはチームによる集団行動だし、現場は体力勝負、体育会系の男社会なんです。私は根っからの文化系だし体力ゼロ、向いてなかったんですね。夢はうやむやになり、大学4年間はなにも作り出せず、悶々と過ごしました。小説も、書いては消し書いては消しという感じで。でも今思うと、その悶々がよかったのかも。卒業後は京都に引っ越して、一人ずるずるモラトリアムを続ける中、表現欲求がどんどん堆積していきました。どうにかフリーライターの職にありつき文章で稼げるようになったのですが、やっぱりどうしても、個性を出したくなってしまう。情報誌のライターの仕事にどんどんストレスを感じるようになり、自分は小説を書きたいんだなと、嫌でも思い知ることになりました。そういう状況をひっくるめて京都に倦んできていたので、次の段階に行こうと思えたんですね。東京に住むって、地方出身者にはハードルが高いのですが、京都で鍛えられてちょっとはタフになり、今なら大丈夫だと思えたのも大きかったです。25歳という、ちょっと遅めの上京となりました。
子どもの頃から外反母趾に悩んでいるという山内さん。普段はフラットシューズを愛用されているそうですが、イベント出演の際にはパンプスを持参して履き替えているんだとか。「それでも最後まで立っていられるか、けっこう緊張するんです。」
__夢が叶ったと実感できたのはいつ頃でしょう? それは、ご自分で夢見ていたものと同じでしたか?
上京2年目で、文学新人賞の受賞の電話をもらった瞬間は「やったー!」って感じでしたが、作家はデビュー作を出すところがスタートライン。私はそこからが、別の地獄の始まりでした……。担当の編集者さんと合わず、生殺しのような状態が続き、文学的ニート生活のまま30歳になってしまった。ようやくデビュー作が出たのが、上京から足掛け7年目、32歳の時です。夢はたしかに叶ったのですが、夢見ていたものとは……ちょっと違いますね。小説家は、優雅に小説だけ書いていられると思っていたのですが、案外ほかの用事が多くて小忙しい。気を抜くと、取材や打ち合わせ、マスコミ試写やイベント出演などで一日が終わっていくので、執筆時間の確保に四苦八苦してます。生産性を上げたいと切実に悩んでいる、ごく普通の個人事業主という感じです(笑)。
__上京して小説家の夢と向き合われた25歳が、人生のターニングポイントに思えます。もしあの時一歩踏み出していなかったとしたら、今どう思っているでしょう?
性格が悪化していただろうと思います(笑)。ある映画に、「夢を実現しようとがんばらなければ、その夢は一生君を苦しめる」というセリフがあって、ハッとしたんです。その苦しさの方が、一歩踏み出す恐怖より、はるかにしんどいだろうし、人生を蝕んでしまいかねない。そう思ってジャンプするしかないんですよね、夢を持ってしまったら。
__とても肩の力が抜けた自然体な印象ですが、若い頃はどうでした?
思春期の頃からいつも誰かに憧れていて、髪型なんかを真似しては「なんじゃこりゃー」と、失敗をくり返しているような子でした(笑)。年齢とともに、そういう間抜けな自分を笑い飛ばせるようになり、だんだん自分に対して寛容になってきたのか、前みたいな不満は感じなくなりました。人に憧れる気持ちって、向上心があるってことだから大事だけど、自分自身を否定して、誰かになろうとしていることでもある。あんまり誰にも憧れなくなったら、すごく楽になりました。今でも素敵な人に弱いのですが、「素敵だな~」とぽーっと魅了されて、自分とは比べなくなった。これがわたしだからしょうがないという、諦めの境地というか。
__座右の銘、もしくは大切にしている言葉があれば教えてください。
If you don’t take risks, you’ll have a wasted soul. リスクを冒さないのは人生の浪費だ。ドリュー・バリモアの言葉です。ニート時代、この言葉を励みに生き抜きました。『デート・ウィズ・ドリュー』という、ドリュー・バリモアとデートしたい一心でファンの男性が撮った、バカっぽいドキュメンタリーで、ドリューが言っていた言葉ですが、これ、いい映画なんです。最後に女神のように現れたドリューが、いいことを言いまくって、愛をふりまいて去って行く(笑)。ダメな自分へのチャレンジとしてドキュメンタリーを撮りはじめた監督を、「夢を持って生きてる人は多いけど、最初の一歩を踏みすのは怖くて難しいわ。実現はおろか、試してみることすらね。でも、あなたは行動した!」と褒めてあげるんです。一歩を踏み出したものの、鳴かず飛ばずだったわたしは泣きましたね……。
Stefaniaのカラースワッチ(色見本)を眺める山内さん。「美しい色がたくさんあり過ぎて、選べません(笑)!」秋冬シーズンに向けて欲しいカラーをリクエスト頂きました。
__これからの夢や目標、今後やっていきたいことを教えてください。
書きたい小説のアイデアがたまっているので、とにかくそれを粛々と書き上げていくことが、夢であり目標です。あとは……去年『エトセトラ』というフェミニズム雑誌で田嶋陽子さんを特集しまして、打ち上げのときにノリで、「わたし、田嶋先生のドキュメンタリー撮るよ!」と言ったんです。Netflixで配信しようとか、大言壮語をぶちかましまして(笑)。現状まったく手つかずですが、お酒の勢いとはいえ口に出した以上、いつかなにかの形にしたいなぁと、懐であたためてます。
__チャレンジしたいけど踏み出せない人、何をやりたいか分からず模索中の方に、メッセージをお願いします。
わたしにできるのはドリュー・バリモアの言葉を引用することくらいです(笑)。あとはわたしの母の言葉ですが、「好きなことをしなさい」と、よく言われました。これしろあれしろは一切言われず、ただ「好きなことをしなさい」とだけ。それで、自分の好きなことって何だろうと意識するようになり、好きなことに夢中になるようになり、好きなことをあれこれ試してみて、結果的に小説が性に合っていたから、なんとかものになったんだと思っています。自分が何をしたいのかわからない人は、好きなことを探すところから始めてみるのが近道かもしれません。そして夢は複数持つこと。これがダメならアレでいってみようと、トライ・アンド・エラーをくり返しているうちに見つかる、そんな気がします。
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【プロフィール】
山内マリコ
1980年富山県生まれ。2008年「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞し、2012年『ここは退屈迎えに来て』でデビュー。主な著書に『アズミ・ハルコは行方不明』『メガネと放蕩娘』 など。『あのこは貴族』の映画化が決定している(公開時期未定)。昨年はフェミニズム雑誌『エトセトラ』vol.2にて、特集「WE ♥ LOVE 田嶋陽子!」を責任編集、話題となる。最新刊はアートについてのエッセイ集『山内マリコの美術館は一人で行く派展』。
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