Heading Southは、「Wardrobe designed to “move” you. 『動き出す』あなたのそばに、『感動』のいつもそばに」をブランドステートメントに、ありたい自分に向かってチャレンジするひとに寄り添い、応援する存在でいたいと願います。
自分らしさを大切に、強く美しくしなやかにチャレンジする人々の気持ちを後押しし、そんな素敵なひとが増えることを願ってお届けする「HSインタビュー」の第10回のゲストは、坂井 美穂さんです。
HSインタビュー vol.10-1:坂井 美穂さん(料理研究家/モデル)「『食』が『人』をつくる(前編)」
第10回目のゲストは、料理研究家/モデル 坂井 美穂さん
料理研究家とモデル、2つの顔を持つ坂井さん
今回のゲスト、弾ける笑顔がとっても素敵な坂井さんには、料理研究家とモデル、2つの顔があります。
お母様のご病気をきっかけに国際中医薬膳師の資格を取得、独自に考案された『フレンチ薬膳』のコンセプトを、料理教室や商品開発、レストランとのコラボレーションなどを通じてプロデュースを行う料理研究家としての顔。
そして、2006年に渡仏し、パリコレクションなどのランウェイモデルとして活躍されていたご経験もある、モデルとしての顔があります。
「食」が「人」をつくる
「いつまでも美しく、若々しくありたい。」
女性はもちろん、性別に関係なく、そう願う方は多いのではないでしょうか?
坂井さんは、「美しさ」とは、単に顔やスタイルが整っていることではなく、内から溢れるオーラだと言います。
そのオーラとは、内面に芯の強さがあり、精神が安定し、自分に自信を持てるからこそ、醸成されるもの。そして、そんな強い「心」と「からだ」を満たす状態を作るものこそが「食」なのです。
「薬膳」と聞くと、体に良さそうなのは知っていても、少し距離を感じられる方は多いかもしれません。
今回のインタビューを通じて、坂井さんの料理教室にお伺いしたり、著書を読ませていただいて、薬膳が日常的に身近な食材で実践ができることに驚きました。また、薬膳の基本的な考えを理解しておくと、日々の食生活に少し取り入れるだけで心と体のバランスを整える一助となることを知り、素晴らしいコンセプトだと思いました。
そして、何よりも、その良さを伝える坂井さんご自身が、外見の美しさだけでなく、内面から溢れ出る美しさと強さの持ち主であり、彼女からの説得力ある言葉に魅了され、私も日々の食生活の中で取り入れてみたいと強く思いました。
坂井さんのお人柄に触れ、改めて、「食」が「人」をつくる、ということを本質的に理解できた、学び多きインタビューとなりました。
是非お楽しみいただけましたら、嬉しく思います。
流石はモデルさん。8頭身のスラリとしたスタイルに、うっとりしてしまいました(笑)。
廣田: 料理研究家とモデル、2つの側面を持つ坂井さんですが、先ずは、モデルとしての活動について、教えてください。モデルとしてパリにも在住されていたとのことですが、幼い頃から目指されていたのですか?
坂井さん: 初めてモデルをやったのは、大学生の頃ですね。アルバイト先のカフェにたまたまヘアメイクさんのお客様が多く、「オーディションを受けてみない?」ってお声掛けいただいたんですね。
小学生の頃からバレエを習っていて、舞台に立つことは好きでした。身長もあるし興味もあったので、それならばとオーディションを受けてみたら、ありがたいことにファッションショーに出られることになったんです。
15分のショーに懸ける熱量に圧倒される
坂井さん: モデルとして初めてファッションショーを体験したとき、たった15分のショーを成功に導くために関係者が費やす時間と熱量に圧倒されたんです。
ショーの表舞台に立つのはモデルだけれども、表から見えないところでは、ヘアメイク、音響、照明など、携わる方々が寝ずに働き、その15分のために命を懸ける勢いで全力を注いでいる。
そして、それだけのパワーをまとって歩かせてもらえるモデルとはすごい仕事なんだと感銘を受けました。その体験をきっかけに、本格的にモデルを目指そうと思ったんです。
廣田: いやー、それは選ばれた方しか味わえない、貴重な体験ですね。早計ですが、日本での活動から、パリでチャレンジしようと思われたのは何故ですか?
坂井さん: モデルは服を見せる仕事ゆえ、ファッションのルーツを知りたい欲求が強くなっていったんですね。それで、学生の身には高価だったフランス版のファッション誌を買ったりして勉強していたのですが、そこに掲載されていた広告の写真があまりに美しく魅了されてしまったんです。
ピントがきっちり合っておらず、少し靄がかかったような写真だったのですが、見惚れてしまい、気づけばずっと見てしまっていました。
「この幻想的な世界観をどうにかこの目で見てみたい!」と思ってしまって・・・。それで、お金を貯めてワーキングホリデーでパリに行こうと思い立ちました。
ワーキングホリデーには申し込みに必要な貯金額があるんですね。短大卒業までのアルバイト期間では十分な貯金ができなかったので、卒業後に勉強しながら働ける先として、ホテルのクロークを選び、そこで1年半くらい働いて、必要な貯金額を貯めました。
廣田: 思い立ってからの行動力が素晴らしいですね。でも、勉強のためにホテルのクロークでアルバイトですか?!
弾ける笑顔がとっても素敵な坂井さん!
服の勉強のために、ホテルのクロークでアルバイトに勤しむ
坂井さん: とにかく良い服を見て勉強したかったんですね。特定のブランドで働いてもそこの服しか見られないけど、ホテルのクロークだと、良い服をお召しになるお客様が多いので、1日何百着も素敵なお洋服が見られるんです。
その中にキラリと光るオーラのあるお洋服を見つけては、ブランドタグをこっそり見ていました(笑)。ホテルのクロークのアルバイトは本当にやって良かったなと思いました。
廣田: なるほど。思いつきませんでしたが、確かに(笑)。面白い発想ですね!
そして、貯金もできて、いよいよパリへということかと思いますが、日本を発つ前にパリでのお仕事が決まっていたわけではないんですよね?!
いざパリへ!
坂井さん: そうですね。日本では、門を叩くモデルエージェント(事務所)の連絡先をリストアップして、知り合いのつてでアパートを借りる手配をしたくらい(笑)。
現地に着いて、地図を買って、携帯を借りてからは、エージェントにひたすら電話を掛け、オフィスへ出向いてルックブックを見ていただき、リストを潰していく日々が続きました。
廣田: 私も海外にいたので状況は理解できますが、いやー、ものすごいガッツですね!そういえば、フランス語はどうされたんですか?
坂井さん: 日本で旅の指差し帳を買っていきました(笑)!現地の方にも、Oui.(はい)、Non.(いいえ)、Je t’aime.(愛してるよ)くらい覚えていればいいよと言われ・・・(笑)。
廣田: なんと、大した度胸ですね(笑)!
割と何があっても順応できると思っていた
坂井さん: 右も左も分からないし、大丈夫かな?とは思っていましたが、割と何があっても順応できると思っていたので、何とかなりましたね。家具も拾ったり、知り合いにいただいたりと次々に集まってきたり・・・(笑)。
結局、2週間くらいエージェントを回って、契約してくれる先が見つかったんです。そこからは、ひたすらショーのオーディションを受けて、受かったらショーに出るという生活となりました。
モデルだけでは生活できなかったので、語学の勉強をしながら、ベビーシッターのバイトをしたり、楽しみながらやってましたね。
廣田: いやー、坂井さんは、思考が前向きで素晴らしいですね!パリでは、モデルとしてどのくらい活動を続けられたのですか?
「このくらいの高さのヒールが使い易くて好き」と坂井さん。良かったです!
母親の病気と薬膳との出会い
坂井さん: 実は、パリに来て3年が経ったとき、母が入院することになり、急遽帰国することになったんです。入院する前から電話で話す度によく咳をしていたので気になっていたのですが、母は心配を掛けたくないとの気持ちが強くて、病状を伝えてくれてなかったんですね。
既に21歳のときに父を病気で亡くしていました。妹が母のそばに居てくれていたものの、入院と聞いて迷わず帰国しましたが、戻ると、余命10ヶ月だと告げられました。
そこから母の看病を中心とした生活へと変わりましたが、この頃に薬膳の勉強を始めたんです。
実は、父を看病していたときに、野菜ソムリエの資格を取ったんです。母の傍らで父の食事の手伝いをしながら、具合が悪くて寝ている父の体の浮腫みを取るために、薬の力だけでなく、食事でも少しでも緩和できたらとの思いからでした。
ただ、突き詰めていくと、野菜ソムリエは野菜のスペシャリストを目指すものであり、個々の野菜や食べ物が身体にどういう作用があるのかを知りたかった私の欲求を満たすものではないことに気づいたんです。
それで、色々調べていくうちに薬膳が良いのではないかと思い、勉強を始めたのです。
願い叶わず母は他界しましたが、これをきっかけに、国際中医薬膳師の資格を取得しました。
廣田: そうだったのですね。坂井さんからは内から出てくる明るさがあり、悲壮感を全く感じさせませんが、若くして大変なご苦労がおありになられたのですね。
そこから『フレンチ薬膳』へと、どのように繋がっていったのでしょうか?
未病のうちから、体を良くすることに携わりたかった
坂井さん: 当初は、妹と「東洋医学と西洋医学を統合した病院を作りたいね」と話していたんです。若かったですね(笑)。
父や母が入院し、看病で病院を訪れる度に死と向き合っている人たちをたくさん見て来ました。同じ病棟には、私より若くして亡くなってしまった子もいました。
こうなる前に気づいて何かできていたら、こうならずに済んだのかなと。
残された家族も悲しいですし、両親には、人のためだけでなく自分のためにも時間を使って生きて欲しかったし、やりたいこともして欲しかった。そして、私自身も、もっと長く一緒にいたかった。
薬膳は、病気になってからやるものではなく、未病の状態で、体内のバランスを整えて自然治癒力を高め、自らの力で不調を改善していくことです。未病のうちから、体を良くすることに携わる何かをしたかったんですね。
廣田: ご両親に対して感じられたその思いを、今度は不特定多数の方へ向けて伝えたいと思われたんですね。素晴らしい志ですね。
でも、どうして、「フレンチ」だったんですか?
ご試着タイム!坂井さんはカスタムオーダーにて007 Grigio Ghiaiaをチョイス
『フレンチ薬膳』は、亡き父との絆から
坂井さん: 『フレンチ薬膳』は、実は偶然生まれたものなんです。国際中医薬膳師の資格を取得し、いざ薬膳料理を作ると、フレンチっぽくなっちゃったんですよね(笑)。
パリに暫く住んでいたことも少し影響しているかもしれませんが、実は、父はホテル・オークラのフレンチレストラン、ラ・ベル・エポックのシェフでした。
父の仕事柄、書斎にはフレンチの専門書がたくさんあって、小さい頃、それを見るのが大好きだったんです。
フランス語で書かれた本もたくさんあって、例えば、世界のチーズ大百科とか、小学校低学年だった私には衝撃的で、フランス料理なんて食べたこともなかったのに、暇さえあればずっと眺めていました。
実は、父から料理を教わったことはないんです。たまに父が作ってくれるのを見たりはしていましたが、決してフレンチだけを食べていたわけではないのに、不思議なものですね。
廣田: なるほど、お父様がフレンチのシェフでいらっしゃったと聞いて納得しました。坂井さんがお父様やお母様がご病気になられた際に、「食」で治したいと勉強されたのには、そこにルーツがあるのですね。
きっと、小さい頃に食を通じてご両親と素敵なコミュニケーションがあったのではないでしょうか?
食を通じて感じた両親の愛情
坂井さん: そうですね。確かに食を通じて愛情をもらった記憶が多いですね。
「今日は寒いからポトフよ」と、寒い日に雨で濡れた身体をお料理が癒してくれるとか。父は自宅では料理をすることは少なかったけれども、たまに作ってくれると美味しくて。
家族で初めてラ・ベル・エポックに連れて行ってもらったときに食べた、グリーンピースのポタージュの味は今でも覚えています。
それから、ホテルの社員向けのバイキング・パーティーに招かれたときに食べたお料理が父が家でたまに作ってくれたソースの味に似てたんですね。
「パパが作ったの?」と聞くと、そうだと。
パパの味というものはあるんだなと、子供ながらに思いましたね。
料理には人の気が宿る
酒井さん: 料理は、人の手仕事だから、人の気が宿るんだと思っています。
料理教室でも同じレシピなのに、味が違うんですよね。今日は優しい味、今日はダイナミックとか(笑)。面白いですよね。料理は人が出るんですよ。
廣田: それ、面白いですね(笑)!でも、坂井さんが仰ること、良く分かります。人の手を介するものは、どんなものでも気持ちが伝わってきますよね。
―――――――――――――――――――――
【プロフィール】
坂井 美穂(さかい みほ)
国際薬膳調理師/料理研究家
2006年拠点を日本からパリに移し、モデルとしてパリコレクションなどのショーを中心に活動。現在はフレンチ薬膳を提案しながら、からだの内から溢れる美しさや健康を追求したさまざまなサービスを展開。
料理教室やレストランとのコラボレーションイベント・数多くのレシピ提供・商品開発に携わる。テレビ出演などのメディア活動も精力的に展開中。東京健康科学専門学校非常勤講師、国際食学協会特別講師も勤める。
著書に『かんたんフレンチ薬膳』『血めぐり薬膳』『きれいに効く インナークレンジング食事術』がある。
フレンチ薬膳 ホームページ:https://www.french-yakuzen.com/