Heading Southは、ありたい自分に向かってチャレンジするひとに寄り添い、応援したいとの思いを軸に活動をしています。
自分らしさを大切に、強く美しくしなやかにチャレンジする人々の気持ちを後押しし、そんな素敵なひとが増えることを願ってお届けする「HSインタビュー」の第22回のゲストは、原田アンナベル聖子さんです。
HSインタビュー vol.22−1: 原田アンナベル聖子さん(KOMBオーナーシェフ)「美味しさで分かち合える幸せをさまざまな形で届けたい(前編)」
第22回目のゲストは、原田アンナベル聖子さん
あらすじ(前編)
-- 原田さんは、神楽坂にある人気和食店KOMBのシェフオーナー
-- 慶應SFC卒。 IT大手企業から内定獲得も、料理人の道を志す
-- 和食に精通したドイツ人の母、食を愛する父。食に触れる機会の多い環境で育つ
-- 特別に努力せずとも「何となくいい感じ」の人生にモヤモヤする自分がいた
-- 若いうちなら失敗しても、何とかなる!
神楽坂の予約の取れない人気和食店KOMB
神楽坂(東京都新宿区)にKOMB(こんぶ)という和食屋さんがあります。
目の前で調理され、美しい骨董の和食器に盛られて提供される旬の食材たちが五感を大いに刺激してくれます。KOMBは、レストランのみならず、ケータリング、料理教室、旬の食材を使った瓶詰めのお惣菜の物販(EC販売)など、多様なスタイルで、食の在り方や旬の食材との接点を提案しています。
オーナーシェフの原田さんは、日本人の父親とドイツ人の母親を持つハーフ。
原田さんのお料理は、懐石料理ながら、どこか家庭らしさがあり、からだにすっと馴染む優しいお料理。日頃の緊張を緩めてくれる、ほっとするお料理は、家族や身近な大切な人たちと共に、また、一人でも伺いたいと思える魅力があります。2022年3月のオープンながら、早くも予約が取りづらい人気店となっています。
異色の経歴を持つ料理人
慶応義塾大学SFC(湘南藤沢キャンパス)環境情報学部卒で、大学時代はメディアデザインを専攻。就職活動をするまでは、全く食を職業として意識していなかったという原田さん。そんな彼女が、なぜ料理人という、名門大卒からすると異色の道を志したのか、ぜひそこにも注目していただきたいと思います。
内に秘めた情熱の赴くままに人生を選択する彼女の生き方は、私自身を含め、ついつい「こうあらねば」と考えがちな人へ、良いヒントを与えてくれるのではないかと思います。無理せず、自然体でチャレンジしているからこそ、溢れ出る爽やかな魅力があるのだと感じさせられました。
素晴らしいKOMBのお料理やサービスも併せてご紹介させていただきます。お楽しみいただけましたらとても嬉しく思います。
原田さんはブラックのドレスに004 Rosso di Kermes(レッド)を、廣田はネイビーを基調としたドレスに003 Blu Veneziano(ブルー)をそれぞれ合わせています
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廣田: 本日は貴重な機会をありがとうございます。
純粋に原田さんのお料理や審美眼が好きということもありますが、原田さんが就職活動までは料理人になることを考えたことがなかったというお話を聞いて、どのような思いでキャリアを選択しこれまで歩まれてきたのか、とても興味が湧き、ぜひお話をお伺いしたいと思いました。
学生時代の専攻と興味が必ずしも一致していない人も多い中で、キャリアを選択するうえで何かヒントをもらえることもあるのではないかとも思っております。
原田さん: ありがとうございます。よろしくお願いします。
廣田: まず、原田さんの幼少期についてお伺いできますか?原田さんは、ご実家が和菓子屋さん、またお母様はドイツ人ですが、和食も完璧に作られるお料理上手なお母様だと伺いました。
原田さんが料理人を志したルーツには、幼少期のご経験がきっと深く絡んでいるんじゃないかなと思いまして……。
和食に精通したドイツ人の母、食を愛する父。食に触れる機会の多い環境で育つ
原田さん: そうですね、食に触れる機会は割と多い環境だったと思います。
実家は、洋焼き菓子も取り扱う和菓子店でしたので、当時人気の洋菓子や和菓子を買って、家族で試食するのが日々の習慣になっていました。
母の作る料理は、普段は和食が中心でしたが、お客様をお招きしてパーティーを開く機会が多く、そんなときは、ドイツ料理をはじめとした西洋料理を振る舞うことが多かったですね。
また、祖母や父に、よく有田の陶器市に連れて行ってもらうこともあり、和食器にも興味がありました。
廣田: お母様は、ご自宅でも昆布から出汁を取るなど日本料理に精通され、丁寧なお料理を作られていたと聞きました。お母様は長く日本にお住まいだったのですか?
KOMBのカウンターキッチンで調理する原田さん。目の前でお仕事が見れて、ライブ感があります!
原田さん: 実家の和菓子店は400年続くお店です。父方の祖母が、凄腕の経営者で長らく実家の和菓子店を経営していました。父がまだ学生の頃、これからは西洋菓子が流行るだろうと見越して、父を含めた息子たちを西洋菓子の研究のためにヨーロッパに留学に行かせたのです。
廣田: すごい!やり手のお祖母様ですね。
留学先のドイツで両親は出逢い、母は結婚し福岡へ
原田さん: はい(笑)。父は、焼き菓子を学ぶためにドイツに留学し、修行先の焼き菓子店の娘だった母と出会いました。父は、焼き菓子を学ぶために、ヨーロッパ各地を転々とした後、母と結婚し、実家のある福岡に戻りました。
廣田: なんと!まるで、マッサンのようですね。
お母様は、縁もゆかりもない福岡にやってきたのですね。でも、そこから日本料理を基礎から覚えられるなんてすごいですね。お料理はお祖母様から学ばれたんですか?
原田さん: うちの祖母はお料理はやらない人でした。それもあって、母はお料理教室に通って、日本料理を習い始めたそうです。
私は4人兄弟の末っ子で、上に3人兄がいて、3番目の兄と10歳年齢が離れています。兄たちが幼い頃は、お米がうまく炊けていないことなどがあったそうですが、私が物心ついた頃には、母の和食はもう完成していましたね。
笑顔が素敵な原田さん
廣田: 原田さんがそんな環境の中で食に興味を持つようになったきっかけはありますか?
美味しさに意識を向ける日常と、自然の中で旬のものを味わう原体験
原田さん: 小さい頃から味には敏感でした。両親からは、食事や食材の味について、「これは美味しいから食べておきなさい。これはもっとこうした方が美味しい」などと、幼い頃から食について深く話された記憶があります。
あと、実家の庭にびわやすももなどの果物の木があって、夏になると旬の果物を食べたりしたこともよく覚えています。
廣田: 原田さんの旬の食材へのこだわりは、その辺りにもルーツがありそうですね。
お料理はご自身でもよく作られたんですか?
原田さん: 母の手伝いはよくしていました。あと、お菓子を作るのが好きでしたね。
廣田: 幼少や学生時代はどんな子でしたか?
シャイな性格ながら、高校では生徒会長に立候補
原田さん: 今もシャイなんですけど、小学生の頃は、あまり上手く人と話せず友達が少なかったです。ただ、中学からは、中高一貫の女子校に通い始めて、価値観の合う友達もできるようになりました。
あと、高校では、生徒会長をやりました!
廣田: えっ!生徒会長ですか!?想像できなくて驚きました(笑)。シャイだと結構ハードル高そうですが、何かきっかけがあったのですか?
パンプスの説明に耳を傾ける原田さん
サマースクールが主体的にチャレンジしようと思うきっかけに
原田さん: 将来、海外に留学を検討していたこともあって、高1と高2の夏にサマースクールでスイスとアメリカに行きました。その時に、自分から行動しないと誰も振り向いてくれないと気づきました。
日本では、私が何もしなくても、人は勝手に私の名前を覚えてくれることが多かったんです。
廣田: それは、ハーフだからですか?
原田さん: はい。それだけで目立つから。だけど、向こうに行くと、全くそれがなかった。
「そうか、何かやらないと人には覚えてもらえないんだな」と初めて気づかされました。それをきっかけに、自分から何かやってみよう!と思い、生徒会長に立候補しました。
廣田: シャイなのに、すごいですね!チャレンジしてみてどうでしたか?
原田さん: 楽しかったですね。自分からアクションを起こしてみようと思うようになりました。
廣田: それは、素晴らしいですね!
さて、大学進学を機に福岡から東京に出られたんですよね。
慶應SFCへ進学。メディアデザインの研究室へ
原田さん: はい。当時海外留学なども検討していたのですが、兄が慶應大学に通っていたのと、早い段階で入学が決まったこともあって、慶應大学SFCへ進学しました。
廣田: SFCは帰国子女の方も多いと思いますので、環境的にもきっと合っていたんじゃないかと思いますが、大学時代は何を勉強されていたんですか?
原田さん: そうですね。環境はとても良く、合っていたと思います。学部がITに強いこともあり、ここでITの知識をつけたいなと思っていました。また、将来はぼんやりとデザイン系の仕事をしたいと思っていて、メディアデザインの研究室に入りました。
ただ、入って実際にやってみると、とっても苦手な分野でした(笑)。
廣田: 勉強してみると、想像と違ったわけですね。その頃、将来のキャリアのこととか具体的に考えたりしていましたか?
「パンプスは好き」と原田さん。お休みの日にはハイヒールもお召しになるそう
IT系のビジコンで受賞するも興味が湧かず、商社を中心に就活
原田さん: 具体的にやりたいことは決まってなかったです。ただ、就活に入る少し前に、たまたま友人と応募したビジネスコンテストで特別賞を受賞したんです。シリコンバレーのツアーにも参加させてもらって……。
廣田: すごいじゃないですか!それは、就活にも有利に働きそうですし、何ならそのまま起業もできそうですけど、テクノロジー系の分野には興味がなかったんですか?
原田さん: それが、どうしても興味が湧いてこなくて……。
学生時代の経験から、興味がないことは驚くほどできないことを自覚していました。興味があることに付随する単純作業はできるけど、興味がないことは、とことんできない。
おそらく、IT系で就活をすれば、もう少し内定をもらえてたのかもしれないけど、全く興味が湧いてこないので、試しに商社を幾つか受けてみたけど、全てダメで……(笑)。
これはまずいと思って、1社だけIT系の大手企業を受けたところ、すんなり内定を頂きました。とりあえず就職先は確保できたので、一安心しました。
廣田: 大手IT企業での就職内定が決まっていたのですね。それにもかかわらず、料理人の道を志そうと思ったのはなぜですか?
料理だったら、寝ずに情熱を傾けられるかもしれない…
原田さん: 慶應SFCのキャンパスは24時間開放されていて、寝泊まりして研究している人たちがいます。そうやって、何かに情熱を傾けている人たちを間近に見ながら、「私は何だったら寝ずにできるだろう……?」と、改めて考え直しました。
深く考えてみると、「料理だったら、寝ずにできるかもしれない」と気付いたんです。そのとき初めて、職業として「食」を認識するようになりました。
廣田: 原田さんにとって、ご自身の情熱を最も注げる領域が食であることに気づかれたのですね。
懐石料理の修行先を探し始める
原田さん: はい。修行してみてダメだったら他の仕事を探せばいいやと思い、そのタイミングで就職活動はやめて、自分が修行してみたいと思う懐石料理店の中から、見習いとして雇って頂ける修行先を探し始めました。
一番気になったという赤のパンプスをトライ
廣田: 「食」の領域から、和食を選んだ理由は何だったんでしょうか?
自分にとって一番難易度が高い和食を選ぶ
原田さん: 和食の懐の深さに惹かれたんです。たしかに母が作ってくれた和食は美味しかったのですが、母はドイツ育ちなのでバックグラウンドは違います。自分の手でゼロから、歴史ある和食の芯に触れてみたい。その好奇心から、和食の道を選びました。
また、私自身が好きな和食器を勉強できる機会も増えますし、「日本文化を世界にプレゼンしたい」という大学入学当初の想いも、決め手のひとつでした。
廣田: なるほど、それで和食を!修行先はどのように探して最終的に決めたのですか?
父が作ってくれたお味噌汁によく似ていた。ここで働きたい
原田さん: 修行してみたいお店を幾つか食べに行きました。その中で、知人から紹介して頂いたお店のお味噌汁が父の作ったお味噌汁とよく似ていたんです。魚のアラで出汁を取ったものですが、その味が美味しくて、ここで働きたいと強く思いました。
大学4年生の秋だったのですが、まずは研修をさせてもらいました。初めて見る食材や料理、調理技術に感動しました。研修から数ヶ月後に大学を卒業したのですが、そのお店で修行をしたいと決意し、ありがたいことに受け入れて頂きました。
先に決まっていたIT業界の内定先はお断りさせて頂き、本格的に和食の道に進むこととなりました。
廣田: ご家族や周囲の反応はどんな感じでしたか?
原田さん: 家族には反対されましたね。母には、何かあったときのことを心配されました。より安定的な職業を選んで欲しかったんだと思います。
実は、修行先の親方からも、「料理の世界は、わざわざ大学を出て来るところじゃないから、いつでも辞めていい」と言われていました。
廣田: そうだったのですね。確かに、慶應SFCで学び、大手IT企業の内定まで獲得したのに、それを辞退して料理人を目指して修行を選ぶことは、一般的には「どうして?」と思われるのかもしれません。
原田さんは、そのとき、どのようなことを考えて、最終的に料理人を志す道を選ばれたのですか?
リスクを取って、自分の好奇心に素直になることを選択した原田さん
特別に努力せずとも「何となくいい感じ」の人生にモヤモヤする自分がいた
原田さん: 少し話が飛びますが、私が19歳の時に、父が亡くなりました。
私が3歳の時に癌を発症し、あまり長くないと医者に言われていたのですが、父は様々な手を尽くして闘病した結果、発症してから16年も、長く生きることができました。
幸いなことに、父は、寝たきりの病院生活ではなく、大半を公私共にアクティブに生きていました。私の記憶には、自分の会社を多角的に発展させたり海外出張に行ったりと、好きなことを100%楽しむ姿が、鮮明に残っています。
その折、私自身の人生を振り返ると、なあなあに歩んでいるなぁと思いました。
慶應大学には運良くAO入試で入ることができたし、内定先も大手ゆえ安心。特別に努力せずとも、「何となくいい感じ」でここまで来ている。
それなのに、心から100%満足できていない自分がいることも、どことなく感じていました。そのモヤモヤを見て見ぬ振りをするのか、それとも自分の好奇心に素直になるのか……。後者を選択し、今が在ります。
廣田: それまで、本当にやりたいことをやっている感じがなくて、悶々とした思いがあったんですね。
若いうちなら失敗しても、何とかなる!
原田さん: はい。若いうちなら、たとえ仕事のキャリアに失敗しても、正社員じゃなくても、どうにか生きていけると思ったんです。
最悪どうにもならなければ、地元の福岡に帰れば寝る場所はある。それなら、自分の興味を信じて和食の道に飛び込んでみようと、ポジティブに捉えることができたんです。
廣田: 大きなご決断をされましたね!
(後編につづく)
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【プロフィール】
原田アンナベル聖子(はらだ あんなべる せいこ)
AnnabellSeiko株式会社 代表取締役
KOMB オーナーシェフ
慶応義塾大学環境情報学部を卒業後、懐石料理店で基礎を学ぶ。2016年に独立し、季節の食材を用いた企業向けのお弁当や出張料理、少人数制の料理教室を行う。
虎屋赤坂本店のリニューアルに飲食コンサルティングとして関わり、その後、株式会社虎屋に入社。プラントベースに特化した食事メニューの開発、スタッフの育成、オペレーションのディレクションに従事する。
2022年、神楽坂に和食レストラン兼アトリエとして「KOMB」をオープンさせる。
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