HSインタビュー vol.4−1: プライベートバンカー/エグゼクティブコーチ 山﨑 直子さん 「なりたい自分を見つけ、自立を導く伴走役が私の使命(前編)」

HSインタビュー第4回目のゲストは、プライベートバンカー/エグゼクティブコーチ 山﨑 直子さん
Heading Southは、「Wardrobe designed to “move” you. 『動き出す』あなたのそばに、『感動』のいつもそばに」をブランドステートメントに、ありたい自分に向かってチャレンジする人々に寄り添い、応援する存在でいたいと願っています。Heading Southが理想とする女性像「ありたい自分に向かって、しなやかに生きるひと」にクローズアップする「HSインタビュー」の第4回のゲストは、プライベートバンカー/エグゼクティブコーチの山﨑 直子さんです。

点と点が線で繋がり、山﨑さんが見えてきた人生の軸とは?
山﨑さんは、富裕層向けに特化した資産管理をはじめとしたアドバイスを行う専門職、プライベートバンカーとして活躍されています。国内系大手信託銀行の一般職からスタートし、その後、プライベートバンカーとして総合職へキャリアシフトした異色の経歴の持ち主。昔からさぞ仕事がお好きだったのではと思いきや、就職して7年くらいは仕事を腰掛け程度に考えていたとの意外な答えが返ってきました。金融の専門職の中でも、高いコミュニケーション能力と幅広い金融知識が必要とされるプライベートバンカーとしての仕事をこなしながら、出逢ったときに自身のライフワークになると確信したという、エグゼクティブコーチとしての活動も近年スタートされました。さらには、忙しい仕事の合間を縫って、ボランティア活動も精力的にこなし、2012年には年間400時間以上の活動を認められ、「Global Employee Volunteering Award」を個人として受賞されています。プライベートバンカー、コーチ、ボランティア活動を通じて見えてきた、山﨑さんの人生の軸についてお伺いしました。

山﨑さんその1インタビュー中は笑いが絶えず、楽しい時間となりました!


プライベートバンカーの仕事内容と、山﨑さんが考える自身の役割について
HS:
プライベートバンカーというお仕事は、一部のお客様に限られたサービスということもあり、一般的には馴染みが薄いかと思います。私の勝手なイメージですが、富裕層のお客様に向けた資産管理のアドバイザーとしての仕事が主軸ではあるものの、実際のところは、少数のお客様と長く深くお付き合いするという点で、仕事内容も多岐にわたるのではないかと想像します。


山﨑さん: そうですね。プライベートバンカーの仕事領域は、恐らく、バンカー個々人によって異なると思います。お客様の資産運用を行うのが本業ですが、お客様の近くで長く関係を築かせていただくことから、ご相談の内容は、ご家族の生活から会社の今後まで多岐にわたります。だからこそ、お客様との距離感にはしっかりとした線引きもときに必要であり、私自身も、自分の存在価値について、悩み、葛藤しながら、幾度か考えを改め、修正をはかってきました。

HS: とても興味深いお話ですね。私も金融業界で働いていた際、実体のないものを扱うという点で、自分自身の価値に対して常々葛藤がありましたので、共感するところがあります。山﨑さんはどこにご自身の価値を見出されたのでしょうか?

山﨑さん: かつて担当させて頂いたお客様に、戦時中に事業を興し、戦後の日本を変えるような事業を創り上げた上場企業のオーナーがいました。日本を変え、また、個人的にも可愛がってもらい、様々なことを学ばせてくれたこの方のお役に立ちたいとの思いで、遺言書の作成にも携わらせていただきました。ところが、その方が亡くなってお子様たちに遺言書をお渡ししたとき、お子様たちが、遺言書にあるお父様からのメッセージには目もくれず、資産の取り分にしか興味を示さないのを目の当たりにし、愕然としたのです。そのオーナーは、生前、お子様たちに対する思いを私によく話してくれましたが、お子様たちや奥様には直接思いを伝える機会はなく、結果として、ご本人の思いは最後まで伝わりませんでした。ご本人が元気なうちに、双方の間に立つことができる私が間に入って、伝えられなければ意味がないと痛感させられました。

お客様の中には、ご自身で資産を築かれた方、相続により引き継がれた方、それぞれいらっしゃいますが、その資産やご自身の力を活かし、世の中の先頭に立って社会を変えて行こうとチャレンジされている方が多くいらっしゃいます。一方で、ご家族と過ごされる時間が短く、ご本人の意思や真意が家族に伝わらないことや、家族との間に大きな心の隔たりがあることが実に多いのです。

私の役割は、ご本人とご家族との間に立ち、コミュニケーションの橋渡し役となることだと思っています。社会を良くするためにご本人が家の外で力を存分に発揮できるよう、財産を守るサポートをさせていただきながら、ご家族にはその思いをご理解いただけるよう啓蒙活動を行う。結局、資産運用をサポートするより、事業で成果を出して頂いた方がよほど財産を大きくできるんですよね(笑)。ご本人とご家族の間にコミュニケーターが存在するか否かで大きな差が出ると感じており、そこに自分の役割があると考えています。

HS: わぁ、やはり深いですね・・・。きっと、お客様は、山﨑さんに資産運用よりも明らかに重要な役割を託されているようにお見受けします。


山﨑さん: そうですね。突然お客様から電話があって、「私、今離婚しても、生活に困らない?」と聞かれ、「問題ありません」とお答えしたところ、その場で結婚指輪を捨てられたお客様がいらっしゃいました。お父様への説得は、後日、一緒に行ったことがあります。

HS: なんと!それはすごい信頼関係ですね。

山﨑さん: ただ、お客様との距離感が近くなり過ぎることは、ビジネス上の私の立場は安泰だとしても、ときに依存関係を生んでしまいます。それは、長い目で見ると、お客様にとって何の役にも立たないことに気づかされ、自分の価値、私にしかできないことは何だろうと考えさせられました。その結果、自分が担当させていただくご家族が少しずつ自立して、ご自身の判断で動けるようになることが大切であり、また、私自身も長い時間を掛けてそれに従事しないと、私の仕事は何の価値も生まないと思うようになりました。私の中で「自立」が大きなテーマになったんです。

HS: 山﨑さんは信託銀行で一般職からキャリアをスタートされたそうですね。若い頃からプライベートバンカーに憧れて、一般職から総合職へ転向されたのでしょうか?

山﨑さん: 実は、信託銀行への入社を決めたのは、1週間の休暇が年に2回も取れて、15年勤務すると1ヶ月の休暇が取得できるなど、割とのんびりしていると聞いたからなんです。ところが、最初に配属されたのが、信託業界において関東で最も忙しい支店で、入社して3日目に父に辞めたいと駄々をこねました(笑)。正直、当時は仕事をしたいという気持ちは薄かったですね。せっせと花嫁修行をしていましたから・・・。

山﨑さんその2お仕事柄、お客様のお宅に上がることも多いことから、靴は定期的に買い換えるそう

転機は二人の上司との出逢い
山﨑さん: 気持ちに変化がないまま、7年半が過ぎ、新しく異動した個人業務推進室で、仕事への姿勢が変わるきっかけをくれた一人目の上司に出逢います。後に副社長となるその上司の話を初めて聞いたとき、全く視座の違う話をされ、こんなにもすごい人がこの会社にいるんだと衝撃を受けました。当時、私は、支店では既にベテランの域に入っており、正直、日々辟易としていたのですが、もっと自分で勉強したいし、経験してみたいという気持ちに変わりました。

そして、転機となる二人目の上司には、その1年後、本店営業部への異動で出逢います。海外並みのプライベートバンキングサービスを日本でも創ろうとの、新しい部長による号令の下、プロジェクトチームが結成されました。

HS: そのメンバーに選出されたのですか!?すごいですね!

上司が信じて任せてくれたことで、仕事の楽しさを体感する
山﨑さん:
いや、実は、型破りで、扱いづらい人材ばかりが集められたのです(笑)。その部長は、「お前はもっとできると俺は思っているが、何がしたいんだ?」と私に聞きました。一般職は、お客様の資産情報などを取得する役割であり、相続や大きな案件だとクロージングは必ず総合職に引き継ぐんですね。一般職の立場の私は、総合職の社員に情報を引き継ぐのですが、途中で手放すことでそのお客様の思いが伝わらず、当初の思いと異なる結果に至ることに違和感を感じることが多かったんです。それで、「将来的には大口のお客様を最初から最後まで一人で担当したい」と私が伝えたところ、「やりたいなら、今すぐやれ。チャレンジしてみろ。3カ月で成果が出なければ、どこかの支店へ戻してやるから」と言われました。


同僚は、全員総合職で、一般職は私だけ。ただ、部長は信じて任せてくれました。大口顧客を探すところから始めたのですが、店の外にすら出たことがなかったので、何から始めていいか分からない。富裕層なら不動産だろうと、不動産部署のトップ営業マンに1ヶ月張り付かせてもらい、交渉から成約までに至るプロセスを見せてもらいました。その後は、見よう見まねで営業活動をスタートさせ、プライベートバンカーとしてのキャリアが始まりました。

HS: おー、すごい!度胸がありますね!でも、そこで仕事が一気に楽しくなるのですね!?どの辺に楽しさを見出されたのですか?

山﨑さん: 先ず、自分で責任もって最後までやれるのは嬉しかったですね。あとは、私が面白がってやっていることに対して、部長が面白がってどんどんやらせてくれたんです。2年もすると数字を獲得できるようになり、運もあって、部でトップの成績を上げる時期が続きました。結果に結びついたことも大きな喜びとなりました。

HS: 一般職は当時お一人で、しかも、それだけの結果を出されていたことを考えると、周りの嫉妬がすごかったのではないですか?

山﨑さん: 当時、私は30歳を過ぎて、一般職だとお局的な扱いになっていたので、正直、周りは、「30歳オーバーの一般職で一体何ができるの?」って感じで見ていたと思います。ただ、自分より歳下の人たちも、総合職ゆえその当時の私よりも明らかに経験を積んでいたので、肩肘張らずに「いいじゃん、教えてよー」って感じで、何でも聞いて回りました。当時、フロント業務での一般職から総合職への転向は極めて異例でしたが、総合職になることを最後に後押ししてくれたのは、部署のみんなでした。ただ、他部署の方々はやはり面白くなかったみたいでしたね。

プロフェッショナル職として、外資系金融機関への転職を決断
HS:
その後、30代後半でプライベートバンクとして世界最大の預かり資産を誇る外資系資産運用会社に転職されるんですね。異動がある国内系の総合職と異なり、専門職としてプライベートバンカーの道を選ばれたのは何故ですか?


山﨑さん: お客様を担当して5年が経過し、他部署へ異動しなければならなくなったとき、今いらっしゃるお客様を長く深くサポートできる方が良いと思いました。また、お世話になった部長が異動になったことも大きかったです。その方と一緒であれば、恐らく辞めることはなかったでしょうね。他のメンバーも同様の気持ちだったと思います。

その上司は、「外資から欲しいと言われるような人材になれ、ゆくゆくは日本のプライベートバンクを担っていく人材になって欲しい」と我々部下に言っていました。それで、その気になってしまったんです(笑)。

 

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【プロフィール】
山﨑 直子
法政大学社会学部卒業後、1992年に三菱信託銀行入社(現 三菱UFJ信託銀行)。富裕層の顧客を担当し、遺言書の作成、執行をはじめとして相続対策および資産管理と運用に従事。2007年、UBS銀行に転職し、現在UBS証券株式会社ウェルス・マネジメント本部東京第一営業本部部長。プライベートバンカーとして国内における超富裕層の資産管理を行うと同時に、社内のボランティア活動の中心的な役割を果たしている。2012年には年間400時間以上の活動を認められ、「Global Employee Volunteering Award」を個人として受賞。2019年には会社に対して副業を申請し、自身で合同会社NOKs Laboを設立。エグゼクティブコーチとしても活動している。

 

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