HSインタビュー vol.9-1:残間 里江子さん(プロデューサー)「お会いした方たちのすべてが、仕事の流儀の源に(前編)」

HSインタビュー第9回のゲストは、残間 里江子さん
Heading Southは、「Wardrobe designed to “move” you. 『動き出す』あなたのそばに、『感動』のいつもそばに」をブランドステートメントに、ありたい自分に向かってチャレンジする人々に寄り添い、応援する存在でいたいと願っています。

Heading Southが理想とする女性像「ありたい自分に向かって、しなやかに生きるひと」にクローズアップする「HSインタビュー」の第9回のゲストは、残間 里江子さんです。

残間さんは「お心遣いの達人」でした
今回のインタビューに先立ち、残間さんの著書を拝読したのですが、これまで手掛けられてきたお仕事や、アーティストから経済界の重鎮、そして歴史に残る政治家までさまざまな方たちとお会いしてきた様々なエピソードから、残間さんはきっと細やかなお心遣いができる方なんだろうと想像していました。

そして、今回実際にお会いし、まさに想像通りの「お心遣いの達人」だと感服したインタビューとなりました。

そんな残間さんの魅力の中で、最も知りたかったのが「また残間さんに会いたい」「残間さんにお願いしたい」という思いを相手の方に抱かせる、特別な“何か”とは何なのか。

残間さんのお話だけでなく、インタビュー時のご対応からも、その答えをしみじみと感じることができました。


そんな残間さんの魅力をお伝えできましたら嬉しく思います。

残間さん対談この日はシックなツーピースに、差し色として鮮やかな004 Rossodi Kermesを合わせていただきました。

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廣田: 最初に、残間さんのお仕事についてお聞きしたいと思います。現在はプロデューサーとして多方面で活躍されていますが、大学ご卒業後は静岡放送でアナウンサーをされた後、辞められて上京されたそうですね。

憧れの職業でもあったアナウンサーを辞めてまで、上京しようと決心された理由について教えてください。

残間: 仙台で生まれ育って、そのあと父の仕事の関係で静岡県の富士市に転居しましたが、東京に来た最初は短大進学のためです。

でも基本的には東北育ちですから、言葉のアクセントとイントネーションが違うので、喋ることにすごくコンプレックスがあったんですね。

アナウンス学校に通ったのも、実は2年間東京にいる間に東北訛りを直そうと思ったのがきっかけです。それでアナウンス学校に通い、何とか標準語が話せるようになったことでアナウンサー試験を受け、静岡放送のアナウンサーになりました。

でも、入社してしばらくすると、先輩たちが結婚して次々と辞めていって。当時はアナウンサーでも、結婚して辞めてしまうのが当たり前だったんですよ。

結局2年目には、もう古株になってしまったんです(笑)。 当時の私は社内に恋愛の相手もいないし、このままここにいても、この先、何も道が拓けないって感じがしたんです。

仙台から東京を経由して静岡県に行ったので、やっぱり東京に対する憧れがあったし、勝負は東京だ!みたいに思っていましたから。

残間さんアップこれまでお会いした方たちとのエピソードが次々と。書き切れないのが残念です!

1日10人と会うことを自分の使命に
廣田: ご著書の『人と会うと明日が変わる』では、人と出会うことの意義や素晴らしさについて書かれていましたが、私がすごいなと思ったのは、上京してから新たな職を探すために、1日最低10人に会うことを自分の日課と決めたということ。そして実際に実行されたことにも、とても驚きました。

なかなかできることではないと思いますが、継続できた原動力についてお聞かせください。

残間: いざ東京には出てきましたが、ツテも何もまったくなくて。辞めるときに静岡放送の上司には「東京に行っても、タレントとかアナウンサー崩れにだけはなるなよ」と言われた言葉を守り、アナウンサー以外の仕事を探さなきゃと思っていました。

ちょうどその頃、とあるドラッグストアチェーンが「(出店)目標5000店!」なんて広告を出していたんです。それで私も1日に最低10人の新しい人に会えば、何か得るものがあるんじゃないかと思ったんです。

それからは、大学のサークルの先輩がTV局にいるとか、静岡放送時代のディレクターの友人の別れた奥さまがNHKの美術にいるとか聞けば、実際に会いに行きマスメディアの状況を聞いたり、いろいろなお話を聞くようにしていました。

もちろん、1人しか会えない日もあれば、15人に会える日もありますが、それでも9ヶ月間ぐらい続けましたね。

廣田: 発想はもちろんのこと、その行動力が本当に素晴らしいですね!尊敬します。

残間: とにかく人に会えば、そこから何か縁が繋がるかもしれないという思いがあったんです。まだ22歳でしたからね。

その後、雑誌『女性自身』の編集部に入るのですが、そのきっかけもやっぱり旧友に会ったことがきっかけでした。

ある日、新宿ゴールデン街のバーで、週刊誌のフリーライターをしていた友人と話をしていたら、カウンター席の隣に座っていたのが、当時『女性自身』の記者で、のちに芸能リポーターになる前田忠明さん。

彼がマスターに「編集部でアルバイトしてくれる女の子っていないかな」と言ってるのが聞こえて、「そのお仕事、私にご紹介いただけないでしょうか?」と、声をかけたのがはじまりなんです。

残間さんこっち見る様々なカラーをお試しいただき、最近購入されたブルーのワンピースに合わせたいと、残間さんが選ばれたのは003Blu Venezianoでした。

廣田: そうだったんですか!やっぱり人に会い続けたことが、本当に繋がりを生んだんですね。

『女性自身』ではどんなお仕事を担当されていたんですか?

残間:『女性自身』の最初の仕事が、テレビ情報というページ。テレビ局の番組宣伝部に行って、番組やタレントさんのエピソードを拾ってくるのですが、当時はTV専門の情報誌もあったし、私みたいな新米だとなかなか情報をもらえないんです。

何しろデスクにネタを拾ってこいと言われて、“ネタ”っていう言葉もわからなかったぐらいでしたから(笑)。

ならばと、他の人が1回行くなら私は3回行こうと、とにかく在京6局を毎日訪ね続けたんです。そのうちTV局の人にも顔を覚えてもらい、スタジオに入れてもらったり、楽屋やヘアメイクさんのところにも連れて行ってもらったりするようになって。桜田淳子さんとか、山口百恵さんなどのタレントさんとも親しくなりました。

でもどんな記事を書くときでも心掛けていたのは、弱い立場の人を守ること。例えば、ネタをくれた人がわかってしまって、何かまずい状況になったりしないように気をつけていましたし、記事も針小棒大にならないよう気をつけていました。

廣田: いやー、影の努力家でいらっしゃいますね。残間さんのご著書やお仕事を見ても、その姿勢は今も変わらないようにお見受けします。TVから雑誌へと舞台を変えても、メディアでずっと活躍を続けてらしたんですね。

残間: 実用ページの記事も書いたり、グラビア撮影の企画もしたり、いろいろやらせてもらいました。でも立場的には社員ではなく、明日をも知れないフリーの記者だったので、『女性自身』だけやっているのはまずいなとも思いはじめて。

メインクライアントは全収入の49%にしておかないと、いざというときに怖いでしょ。だから、残りの51%を見つけなきゃと、ヤマハの新人アーティストがレコードを出すときのライナーノーツを書いたり、千葉県警の交通管制センターで、文化放送の交通情報のアナウンサーをやったり、いろいろな仕事を掛け持ちしていました。

でも、結局5年半ぐらいで『女性自身』は辞めたんです。

廣田: 収入源の分散を考えてお仕事を増やすなんて、お若いのにとてもしっかりされていたんですね。

ところで、『女性自身』は起業するために辞められたんでしょうか?

残間: いえ、まだ起業する前ですね。編集長からは芸能・生活領域の責任者的なライターにならないかと言われたんですが、ここだけで終わっちゃうのはいやだな、という気持ちになったんです。

そんな気持ちの中、ある日赤坂の日枝神社で取材をしていたとき、ふと「あ、今日でやめよう」と思ったんです。瞬間的に足元を見たら、玉砂利の中に水色のビー玉が一個転がっていて。そうだ!と思い、そのビー玉に「今夜、辞めますと言おう」と誓いを立てたんです。その後のことは何も決まっていなかったのにね。

いつもそうなんですが、私は次が決まってない方が潔くていいと思っているんですよね。若かったからでしょうね。渡りに船ってカッコ悪いなと。そのビー玉は、今でも持っているんですよ。

残間さんこっち見るHeading Southの意味をお伝えしたところ「易学でも私たちの年齢は、南を目指すと明るい未来が開ける可能性が高いと言われているの。この靴とも縁があるかも」と嬉しいお話が!

誰もが「また会いたい」と思う、人の心を掴む極意とは
廣田: なんと!潔いご決断ですね(笑)。そして、そのご決断からまた大きく変わられていくんですよね。

その後、ご自身の会社を立ち上げられて、山口百恵さんの自叙伝をプロデュースされたり、芸能人や名だたる政財界の方ともお仕事をされています。中でも田中角栄元首相とは、インタビューを機にその後も定期的にお会いになっていたとか。

私は、残間さんには「また会いたい」「残間さんにお願いしたい」という思いを相手の方に抱かせる、“何か”があるのではないかと感じています。

実は今回お会いして是非おうかがいしたいと思っていたのがそこなのですが、ご自身のどういった要素がそれをなし得てきたのだと思われますか。

残間: 自分では、そういう“何か”があるかどうかはわからないけれど(笑)、でも、人に対して無理強いやごり押しは絶対しないことにしています。

熱意って、ただしつこく迫ることじゃないと思うんです。やっぱり待つことも重要。相手とはちゃんと距離を保って、向こうがイエスと言うまで待つんです。

廣田: 相手の機が熟すまで、タイミングを待つんですね。同時に、その裏ですごく努力をされていらっしゃるのではないでしょうか?

残間: 当たり前のことですが、人に会うときはその人のことは事前に徹底的に調べます。恋愛をしていたらその人の一挙手一投足が気になるのと同じです。

アプローチしてもなしのつぶてのときもあるけれど、それでもいつか会える機会が訪れるかもしれないと思って、その人に対して常にアンテナを張って、あの人はこの頃何を考えてるんだろうとか、どこにどんなコメントをしてるんだろうとか、資料は本当に山ほど読み込みます。

でもお会いするときは、現場には持っていきません。それらの情報を自分の中で攪拌・消化させてから臨みます。

廣田: やはり、数々の成功のその裏で、本当にすごく努力をされていらっしゃるんですね。

残間: アーティストならコンサートは必ず観に行きますし、役者なら出ている舞台は時間が許す限り観に行きます。最近ならさだまさしさんや南こうせつさん、先日の渡辺えりちゃんの舞台だけはどう調整しても時間がなくて行けなかったのが悔やまれます。

だから周りからは楽しそうに見えるかもしれないけど、趣味で行っているのではないので心底楽しんではいないかもしれません。

以前夏目雅子さんの結果として最後となった舞台を観たとき、いつもなら終演後に立ち寄る楽屋に寄らなかったらご本人に「なぜ来なかったの?」と、言われたことがあって。

演じている方はいつも来ている人間が来ないと「あまりよくなかったのかな」と気になったりするらしいんですよね。だから観たら楽屋にも必ず顔をだしますし、ちゃんと感想言わなくちゃいけないから、真剣に観ています(笑)。

廣田: 確かに毎日ライブやお芝居と聞いたら、うらやましいと思ってしまいますが、毎回が真剣勝負なんですね(笑)。

残間: チケットも招待ではなく、基本的には購入して行きます。特に今はコロナ禍でエンターテインメント業界は苦境ですから、応援の意味もあります。

花だけ贈ることもできるけど、相手の立場からすると、自分の日頃の活動を観てくれる人の方が信じられますよね。

次に何かをお願いするからというわけではなくて、その人たちの活動状況を日頃からちゃんと知らないのは失礼だと思うんです。ずっと観ているから、ちょっと最近変わったなという気づきもあるし。

でもこれは、きっとどんな仕事でも同じだと思います。自分に関心を持って見てくれる人とは、会って話をしたいと思ってくれるはずです。

廣田: 本当に仰る通りですね。私自身大変勉強になりましたし、そして、まさにその残間さんのご姿勢こそが、「また会いたい」「残間さんにお願いしたい」という思いを相手の方に抱かせる極意ですね!

(後編に続く)

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【プロフィール】

残間 里江子(ざんま りえこ)

1950年宮城県仙台市生まれ。1970年、短大を卒業し静岡放送アナウンサーに。その後雑誌記者、編集者を経て1980年に企画制作会社を設立。山口百恵の自叙伝『蒼い時』の出版プロデュースを手掛ける。その後、編集長として雑誌『Free』(平凡社)を立ち上げ、「男女の一線を超える」というキャッチフレーズとともに、男性誌・女性誌に属さない雑誌作りが話題を呼んだ。その他にも出版、映像、文化イベントなどを多数企画・開催。

2005年「愛・地球博」誘致総合プロデューサー、2007年には「ユニバーサル技能五輪国際大会」総合プロデューサーを務め、29万人を超える来場者を記録する。2009年には既存の「シニア」のイメージを払拭した新しい「日本の大人像」の創造を目指し、会員制ネットワーク「クラブ・ウィルビー」を設立。

国土交通省「社会資本整備審議会」、財務省「財政制度等審議会」、文部科学省「生涯学習審議会委員」、内閣府「男女共同参画推進連携会議」など行政諸機関の委員を数多く歴任。『もう一度 花咲かせよう』『閉じる幸せ』『人と会うと明日が変わる』など著書も多数。