Heading Southは、ありたい自分に向かってチャレンジするひとに寄り添い、応援したいとの思いを軸に活動をしています。
自分らしさを大切に、強く美しくしなやかにチャレンジする人々の気持ちを後押しし、そんな素敵なひとが増えることを願ってお届けする「HSインタビュー」の第13回のゲストは、あさの 千幸さんです。
HSインタビュー vol.13−1: あさの 千幸さん(オートクチュールデザイナー)「揺るぎない信念がご縁を引き寄せる(前編)」
第13回目のゲストは、オートクチュールデザイナー あさの 千幸さん
中学に殆ど行かなかったやんちゃから、オートクチュールデザイナーへ
あさのさんは、オートクチュールデザイナー。オートクチュール(haute couture)とは、高級仕立品を意味し、お客様のためにオーダーメイドされた1点もののお洋服を作るデザイナーさんです。
物腰が柔らかく、誰とでもすぐに打ち解けてしまいそうな印象のあさのさん。意外にも、かつては中学に殆ど行かず、警察に何度もお世話になるほどのやんちゃっぷりだったそう。
ただ、やんちゃになった経緯やその後の更生のきっかけをお伺いすると、親が子供の存在を認めてあげることの大切さや、子供は誰もが素晴らしい可能性を秘めていると信じ、成長の芽を摘まない教育の在り方の重要性を感じずにはいられませんでした。
人生の恩人たちが、夢の実現のために進むべき道を照らしてくれたと仰るあさのさん。お話をお伺いすると、驚くほど「ここぞ!」というタイミングで必要なご縁に恵まれてきた方だと思いましたが、素晴らしいご縁を引き寄せるためのヒントをお話の端々から教えていただいた気がします。
やんちゃだった中学時代にデザイナーを夢見て、社会人になって自らが目標としたオートクチュールデザイナーとなるまで10年超の長い道のりを諦めずに乗り越え、夢を実現させたあさのさん。夢を真っ直ぐに追い続けてきた彼女の信念の強さにも感銘を受けました。
あさのさんデザインのニットドレスを着ています
さて、今回は、あさのさんが今年2月に立ち上げられたプレタポルテ(既製服)のニットブランド、KNIToDay(ニットトゥデイ)の『ウォッシャブル・ニットレース・ワンピース』をふたりで着用させていただいています。
今年6月に、OMOTENASHI Selection(おもてなしセレクション)2021にも選定されたこのワンピースは、2種類のデザイン(スリム・ラージ)とホワイトとネイビーの2カラーの4アイテムで展開されています。あさのさん(ラージ・ホワイト)と廣田(スリム・ネイビー)で着用させていただいています。
お話の端々からたくさんの示唆をいただいたインタビューとなりました。
是非お楽しみいただけましたら幸いです。
あさのさんはKNIToDayのウォッシャブル・ニットレース・ワンピース(ラージ・ホワイト)に006 Giallo Limoneを、廣田は同(スリム・ネイビー)に010 Arancione Zuccaを合わせています
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廣田: 本日は貴重な機会をありがとうございます!
オートクチュールは、お客様のためにオーダーメイドされた1点ものを取り扱いますが、私も含めて普段馴染みのない方も多いと思うので、どんなことをされていらっしゃるのかを教えていただけますか?
あさのさん: 現在は、レディースのスーツを含むお洋服全般のオーダーと、メンズのオーダースーツを承っています。
廣田: 既製服と異なり、その方に合わせてお洋服を作られると思うのですが、皆さん、どのようにオーダーされるものなのですか?
あさのさん: 例えば、レディースであれば、ご自身の気に入ったお洋服のお写真やブランドものの服をお持ちになられて、この部分をこうしたいのだけど、というリクエストが多いですね。
廣田: オートクチュールだと、お値段もそれなりにすると思うのですが、皆さん華やかなドレスなどをオーダーされるのですか?
あさのさん: そのような方もいらっしゃいますが、割と普段お召しになるお洋服をオーダーされる方が多いですね。体型的に、小柄で細かったり、もしくは大柄だったりと、既製服だとサイズがぴったり合わない方が、着たいブランドのお洋服をお持ちになって、生地違いや若干の形違いで作って欲しいと仰ることもあります。
制服嫌いがデザイナーになりたいと思うきっかけに
廣田: 既製服が市場の大半を占めるようになり、オートクチュールデザイナーを目指される方は少なくなってきていると思うのですが、あさのさんが志したきっかけを教えてください。
あさのさん: 実は私、中学に殆ど行かず、警察にはお世話になりっぱなし、中学3年のときには保護観察官の監視下にあって家からほぼ出られないような、バリバリのやんちゃだったんです(笑)。
中学の制服が嫌いで、学校に行っていたときも制服を着ずに体操服で通ってました(笑)。今ではあり得ないですけど、暴力をもって指導する先生ばっかりで、学校に行っても先生に殴られに行くだけだったから、体操服がちょうど良かったんですけどね(笑)。
あるとき、美術の先生から、「どんな制服だったら着たくなるんだ?」と聞かれて、「ボディコンで裾からジップアップになっている制服なら着る」と返すと、「だったらお前がデザインしてみろよ」と言われたのがデザイナーになりたいと思った最初のきっかけです。
さすがはオートクチュールデザイナー、詳細な仕様をご質問いただきました
小さなミスコミュニケーションが重なり、大人への不信感が生まれる
廣田: えっ?!あさのさん、そんなやんちゃされてたんですね(笑)。今からは全く想像がつきませんが、お差支えなければ、やんちゃになったきっかけをお伺いできますか?
あさのさん: 私は4人兄弟の3番目として育ったのですが、上の2人は父の連れ子だったんです。今思えば普通のことですが、両親からは何も告げられることがないまま育ちました。それが、小学校4年生のとき、近所のお友達に「千幸ちゃんの本当のお兄ちゃんとお姉ちゃんじゃないでしょ?」って言われたんです。
その以前から、父と母の結婚式の写真に兄と姉が映っているのを見て、何か変だとは感じていたので、友人から指摘されたことはショックでした。ただ、子供ながらに、親には聞かない方がいいのかなとあれこれ考えてしまって、結局、両親には聞けませんでした。
自営業で両親ともに忙しく働いていて話をする機会も少なく、また、くせ毛だった私は、男の子から軽いいじめに遭ったりしていて……。内に秘めたもやもやしたものを出すことができないまま過ごすうちに、自分の存在価値がよく分からなくなって、大人に対して不信感を抱くようになってしまったのでしょうね。
小学校高学年になると、やんちゃがカッコよく見えた時期と重なったこともあって、年上の人たちとお付き合いするようになっていったんです。今振り返ると、恐らく誰かに自分の存在を認めて欲しかったのだと思いますが、先輩たちに可愛がられて居心地も良かったのだと思います。
中学に入ると、やんちゃが本格的になって、他校の子と喧嘩したり、バイクに乗せてもらって、授業を途中で抜け出して遊びに行ったり……。ここでは書けないようなことも含めて(笑)、悪さがエスカレートしていきました。
結局、中学1年生まではかろうじて通っていましたが、中学2〜3年生のときは完全に学校には行きませんでした。
廣田: えー、そんな時代があったのですね。でも、お話をお伺いすると、やんちゃになるきっかけというのは、ちょっとしたミスコミュニケーションだったり、承認欲求が満たされていなかったりと、本当に小さなきっかけの積み重なりだったのですね。
更生のきっかけをくれたおばちゃん先生との出逢い
廣田: そこから更生されたのは、何かきっかけがあったんですか?
あさのさん: そうですね。ひとつは母親、もうひとつは、私には何人かいるんですけど、最初の人生の恩人との出逢いです。
母とは、何年も一切話をしてなかったんです。取っ組み合いの喧嘩はしてましたけど(笑)。
それが、中学3年のある日、仏壇の前で必死に手を合わせる母をふと見ると、髪の毛が突然真っ白になっていて。これにすごい衝撃を受けたんです。さんざん迷惑を掛けていたこともあり、これはそろそろヤバいなと感じました。
そして、同じ時期に、遠方の別の中学にいた大好きだったおばちゃん先生が、私の通っていた中学に異動してきたんです。
当時、遠方の中学に、バスケットボール部に所属する好きな先輩がいて、おばちゃん先生はその部活の顧問をされていました。その頃は、自分の学校には行ってなかったけど、先輩と話したくて、しょっちゅうその中学まで行って、おばちゃん先生に仲介を頼んだり、冗談を言いながら、よく話をしていました。
なので、うちの学校、しかも、クラスの副担任で異動されてきたときには本当に驚きました。
ご試着タイム!さまざまなカラーをお試しいただきました!
行けそうな高校を探し、毎日マンツーマンで勉強を見てくれた
廣田: あー、それはもうご縁ですね。
あさのさん: はい。当時の私といえば、出席日数も足りなければ、テストを受けたことがないので偏差値も分からない。悪さという悪さを全てしていたので、内申書にも何一つとして良いことが書けない状態で(笑)。
他の先生は、私の高校進学なんて端から無理だと決めつけていましたが、おばちゃん先生は私がデザイナーになりたいと言っていたことを覚えてくれていて、私でも受かるかもしれない被服科のある高校を見つけてきてくれたんです。
中学卒業まであと半年という頃、おばちゃん先生は校長先生に掛け合ってくれて、毎日2時間、会議室を借りて、高校試験に必要な勉強をマンツーマンで見てくださったんです。私のことなのに、「毎日、2時間でいいから学校に来てちょうだい」って。
その先生の愛情に全力で応えたかったんです。
この先生に出逢えなかったら、今の自分はないですね。
廣田: いやー、本当に素晴らしい先生とのご縁があったのですね。私も中学時代の恩師に出逢えなかったら、今の自分はないという経験をしているので、あさのさんのお気持ち、とてもよく分かります。
可能性を信じ、敬意を持って接し伝えてくれた
廣田: でも、当時のやんちゃなあさのさんを想像するに、「先生が大好き」って感じでは到底なかったんじゃないかと思うのですが……(笑)。おばちゃん先生が例外だったのはどうしてですか?
あさのさん: 他の先生は、叱ることもなく暴力を振るうだけでしたが、おばちゃん先生は、「スカートが短いよ」とか「前髪が長すぎるから切ろうね」とか、注意してくれるんです。この先生の言うことだけは当時から素直に聞けました。
廣田: なるほど、これにはとても重要な示唆がありますね。要は、他の先生は言っても無駄だと端から生徒の持つ可能性を否定していたけれども、おばちゃん先生は、あさのさんのポテンシャルを信じ、人として敬意を持って接し、伝えることを怠らなかったということですね。
あさのさん: はい、本当にそうです。他の先生は、「行ける高校ないよ」って感じでしたが、おばちゃん先生は、高校を探してきてくれたとき、「ここだったら、あなたが興味を持つこともあるし、普通の高校の卒業証書ももらえるから」って。
廣田: 愛情深い素晴らしい先生ですね。学生時代って多感な時期で、必ずしもみんなが順調に育つわけではないじゃないですか。でも、本来子供が誰しも持っているポテンシャルを信じて力を引き出せる先生に出逢えるかどうかで、その子の人生が一変するわけですからね。こういうお話を聞くにつけて教師の役割の重要性を感じますね。
どうせやるなら本場でやりたい。留学を決意
廣田: で、無事高校に進学された後は、やんちゃはされなくなったんですね(笑)?
あさのさん: 高校は皆勤賞でしたね(笑)。
廣田: おー、素晴らしい!高校はどんな感じだったんですか?
あさのさん: 高校では、和裁を2年、洋裁を1年勉強しましたが、もともと洋裁に興味があったので1年では到底納得できなくて。もっと勉強したかったこともあって卒業してそのまま進学できる専門学校に進学したものの、花嫁修業のような授業内容だったので戸惑いました。
入学して半年ほど経ったとき、やるんだったらちゃんとやりたい気持ちが膨らんできて、母親に「どうせやるんだったら本場でやりたい。留学したい」と伝えました。
色々なカラーをお試しいただいて、白のニットに006 Giallo Limoneのコーディネートで決定!
背中を押してくれた両親
廣田: わー、お母さん、嬉しかったんじゃないですか?
あさのさん: 母は、「やっと打ち込める好きなことができたから、お金を出してあげてください」と父にお願いしてくれたみたいで。資金面でも苦労を掛けたと思いますが、本当に感謝しかないです。結局、パリに本校、日本に分校のある専門学校へ入り直し、1年半日本で勉強した後、パリへ留学しました。
廣田: 素晴らしいですね!パリにはどのくらいいらっしゃったんですか?
あさのさん: 学生時代も含めて6年いました。学校に2年弱通って、その後、研修生として2年間の活動を経て、最後の2年間はデザイナーとして仕事をしていました。
廣田: あさのさんはそれまで勉強嫌いだったんですよね?フランス語を習得するのは大変じゃなかったですか?
あさのさん: 日本にいるときから勉強してはいたのですが、語学学校に行っても全く頭に入らなくて(笑)。結局、現地に行って感覚で覚えましたね。
人が話しているのをじっと見て、「この人なんて言ってるんだろう?」「こういうシーンだからこういうこと話してるのかな?」とか。
割と、人の気持ちを直感で理解するのが得意なのと、人とコミュニケーションを取りたいという気持ちが強かったので、留学生にありがちな孤立していく感じはなく、現地の方とはとても仲良くなりました。
廣田: 素晴らしいですね!余談ですが、私はアメリカでフランス語を勉強したことがありますが、日本での英語の学習法と全く違って、全く言葉が分からないうちから、ひたすら、シーンごとのビデオを見て感覚で覚えろって言われるんですね。
でも、聞いて話せるようになるにはこのやり方が圧倒的に早くて、「日本で6年間も英語を勉強してたのに、何やってたんだろう……」と愕然としたんですよね。
なので、あさのさんの学習法はまさに正しかったんじゃないかなと思います(笑)!
帰国後、お客様を知るために販売員からスタート
廣田: さて、現地でデザイナーのお仕事を始められたものの、日本に帰国されるんですね?
あさのさん: はい。2年間雇われでデザイナーをやったけれども、やっぱり自分でブランドをやりたいと思ったんです。最初はパリで立ち上げて挑戦したのですが、外国人で働きづらいこともあって、なかなか前に進まなくて。そこで、一度帰国して、独立して何年か経った後にフランスに戻ろうと考えました。
日本に戻って、一番最初にやってみたかったのは販売員。百貨店アパレル系のブランドの販売員だったのですが、1ヶ月くらいで売上ナンバーワンになりました。
洋服の良さのポイントは理解しているので、お客様に似合う・似合わないをはっきりお伝えし、似合わないときは替わりとなるお勧めのものを持って行ったり。結果も残せたので、3ヶ月くらいで辞めました。
廣田: なんと、素晴らしいですね!デザイナーとして独立したくて戻ってきて、敢えて販売員からスタートされたのはどういう意図があったんですか?
あさのさん: そのときは、自分が将来的にこうしたいというビジョンは明確にあったんです。ただ、自分のブランドを立ち上げる前提ではあったものの、日本のアパレル業界が全く分からない状態で帰国したので、お客様と一番接点のある販売をやらないといけないなと思いました。
凛としたお顔立ちが美しいあさのさん
既製服のデザイナーとして3年間ブランドを担当
廣田: それは素晴らしい目の付け所ですね!販売員を辞められた後は?
あさのさん: デザイナーとして服を作るとき、必要になるのは、縫製工場とパタンナーさんです。縫製工場の社長さんに話を聞けば、日本の洋服の流れが分かるんじゃないかと思って、専門領域は異なりますが、知り合いに紹介してもらったデニムの縫製工場の社長さんに会いに行きました。
そしたら、その方が「デザイナーとして独立する前に一度会社に入った方がいい」とアドバイスくださり、当時急成長していた裏原系のアパレルブランドの社長さんを紹介してくださいました。結局、そちらで3年間ブランドを担当させてもらいました。
1シーズン120型の企画生産管理をして、プレタポルテのノウハウはそこで学べて良かったのですが、自分がやりたいのはこれじゃないと思ったんです。
オートクチュールはミリ単位の調整でシルエットが変わる世界。私はやっぱりそっちがやりたいのだと、やってみて腹落ちしました。
廣田: なるほど。販売をやって、実際にプレタポルテのデザイナーをやって、自分が目指すべきは、オートクチュールデザイナーだという結論が出たんですね!その後はどうされたのですか?
あさのさん: 実は、その後、夜の世界に入るんですよー。
廣田: ええっ!?いきなり飛びますね(笑)!
昼は契約デザイナーとして働きながら、夜は高級クラブで働き始める
あさのさん: 残念ながら華やかなドレスを身に纏うオートクチュールの見せ場は日本にはないのです。でも、夜の世界の人たちなら着てるんじゃないの?と思ったんです。あとは、純粋に開業資金も貯める必要があって。28歳から、昼は契約デザイナー、夜は高級クラブで働き始めました。
廣田: なるほど!確かに高級クラブだったら、お店にいらっしゃるお客様の世界も知ることができますものね。
あさのさん: はい。本当は自分でドレスを買えるだけの資金力があれば良かったのですが、ドレスを着る世界の人たちはどういうことを見ていて、どんな世界なのかを知らなければ作れないと思ったんです。
そして、ここでも運良く、スタートからナンバーワンになりまして……(笑)。
廣田: えー、すごいですね!アパレルの販売員でもナンバーワンでしたものね。あさのさんはコミュニケーション能力に長けていらっしゃるんでしょうね。私もお話してて心地が良いですもん(笑)。
ちょっと意地悪な質問ですが、正直、高級クラブでナンバーワンになったら、それで十分食べて行けるじゃないですか?志が揺らぎそうになっても不思議はないのですが、そうはならなかったんですか?
あさのさん: そうですね。自分の志が明確にあったので、そうはならなかったですね。
廣田: いやー、素晴らしいですね。
ふたりめの人生の恩人との出逢い
あさのさん: その生活を続けているうちに、人生でふたりめの恩人が現れるんです。お店によくいらしていたおじいちゃんのお客様がいて。
自分の夢の話をしていたところ、「オートクチュールをやるんだったら、君がその世界にいないと、その世界の洋服を作れるわけないだろう」と。先ず、そのやんちゃっぽい八重歯を直せ(矯正しろ)と言われ、日々、超一流のレストランや場所へ連れて行ってもらったり、勉強のために様々な世界を見せてくれました。
その方は、奥様も彼女もいらっしゃる方で、私にとっては、本当に足長おじさんのような方でした。その方に一流のものやその世界を教わったことが、今の商売の礎になっていると思っていて。本当に感謝しています。
廣田: いやー、粋な方ですね。でも、その方はきっと、あさのさんの本気を感じ取られたんでしょうね。
(後編に続く)
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【プロフィール】
あさの 千幸(あさの ちゆき)
オートクチュールデザイナー
大阪府八尾市出身。
制服が嫌いだった中学時代、美術教師から「自分でデザインしてみろ」と言われたのがきっかけでファッションデザイナーを志す。
20歳で単身フランスに渡り、パリの名門エスモードでオートクチュールを学ぶ。
パリのファッションメゾンで仕事をしたのち26歳で日本へ帰国。
帰国後、日本企業で既製服デザイナーをしたのち2007年に会社設立。
2009年に自身のオートクチュールブランド「asano chiyuki」をスタート。
日本人女性がもつ「大和撫子」の奥ゆかしさとあでやかさをデザイン全体で表現し、女性の体のラインを美しく見せるスタイルにこだわり、京都の絞り染めや日本の伝統技術を取り入れたドレスなどを発表し、日本人デザイナーとして日本の良いものを世界に発信し日本の産業を盛り上げたるため世界各国で活動中。
展開ブランド
– asano chiyuki
– Inner Beauty Promenade
– KNIToDay