HSインタビュー vol.21−1: 石原 亮子さん(株式会社Surpass代表取締役社長)「日本社会から「女性活躍」という言葉が消える日を目指して(前編)」

第21回目のゲストは、石原 亮子さん

Heading Southは、ありたい自分に向かってチャレンジするひとに寄り添い、応援したいとの思いを軸に活動をしています。

自分らしさを大切に、強く美しくしなやかにチャレンジする人々の気持ちを後押しし、そんな素敵なひとが増えることを願ってお届けする「HSインタビュー」の第21回のゲストは、石原 亮子さんです。

女性による営業アウトソーシングのパイオニア

石原さんは、女性の営業代行・営業アウトソーシングを行う株式会社Surpass(サーバス)の代表取締役社長。

女性活躍が謳われながらも、理論が先行し実態が追いついていない日本企業の現状があります。Surpassでは、現場での女性登用が遅れている重厚長大産業を中心とした企業に対し、業務委託の形で女性メインの営業チームを組成し、女性ならではの細やかで丁寧なコミュニケーションを活かしながら、営業プロセスの一部を補完するサービスなどを展開しています。

お若いながらとてもしっかりした印象の石原さん

女性にキャリアを!未経験者を正社員で雇用しプロに育成

驚くことに、この営業支援を担うSurpassの女性スペシャリストの多くは、もともとは営業未経験者たち。未経験者を正社員で雇用し、スキル・ノウハウを学ぶ機会を提供。育成を経て、大企業の営業支援という大きな仕事を任せられるプロフェッショナルに育てるのです。

日本は女性の労働参加率が7割を超え、先進国の中でも高い水準にあります。一方、非正規雇用が5割を占めることが、男性を上回る大卒率(短大を含む)ながら、女性の給与が男性を大きく下回る一因にもなっています。

また、HSインタビュー vol.18−2: 村木 厚子さん(元厚生労働事務次官)「本当の女性活躍に必要なこと(後編)でも触れましたが、コロナ禍で女性の労働従事者が多いサービス業を中心に非正規の雇い止めが増加したことが女性自殺者の増加の一因となるなど、非正規雇用は、景気の調整弁とされてきた実態があります。

石原さんが正社員雇用にこだわる理由は、女性に覚悟を持って働き、キャリアを身につけて欲しいという思いから。それは、まさしく、彼女自身に降りかかった学生時代の壮絶な原体験ともつながる強い願いでもあります。

様々な困難を乗り越え、企業成長と共に人としても大きく成長

2008年、リーマンショックで派遣切りが横行する強烈な向かい風の中で石原さんが立ち上げた当事業は、女性活躍という時代の波に乗り、現在、社員は170名の規模にまで成長しています。

今、この瞬間を切り取ると、この上なく順風満帆に見えますが、これまでの道程を伺うと、学生時代の壮絶な出来事はもちろんのこと、創業4年目で社内クーデターが起き、社員全員が辞めてしまうなど、決して簡単には乗り越えられないさまざまな経験を経て、石原さんが人としても大きく成長されてきたことを窺い知ることができました。お話を通じて、私自身も多くを学ばせていただき、またその姿に大きな勇気をいただきました。

石原さんは、自分が信じた世界が実現できるということを、言葉ではなく行動や生き方で伝えたいと言います。

お読みいただくと、きっと、「私も頑張ろう」と勇気をもらえると思います。
是非お楽しみいただけましたらとても嬉しく思います。

石原さんは淡いブルーのセットアップに010 Arancione Zucca(オレンジ)を、廣田は黒のセットアップに008 Lilla di Firenze(フューシャピンク)を合わせています

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廣田: 本日は貴重な機会をありがとうございます。

石原さんが代表を務めるSurpassの会社概要にある『日本社会から「女性活躍」という言葉が消える日を目指して』という言葉を拝見しました。私もいずれ女性の自活支援に携わりたいと思っていて、この言葉に心から共感すると同時に、これを拝見したときに石原さんのお話を是非お伺いしたいと思いました。

幼少期から将来は起業したいと思われていたのですか?

石原さん: 起業したいと思ったのは社会人になってからですが、両親ともに自営業を営んでいたので、その影響はあったのかもしれません。

廣田: ご両親ともに別々の事業をされていたのですか?

町工場で生まれ育ち、両親は共に経営者だった

石原さん: はい。私は京浜工業地帯の町工場で生まれ育ちました。父は祖父の町工場を継ぎ、母は私が2〜3歳の頃に、シャープペンシルやボールペンの組み立てなどの内職を手伝い始めたところ、次第に規模が大きくなって、母自身が社長をするようになりました。

廣田: 経営一家だったんですね!学生時代はどんな感じでしたか?

石原さん: やんちゃな学生でしたね。割と問題児の多い学区でしたが、正義感が強いタイプで問題児の面倒を見ていたら、生徒会などにも参加するようになりました。

高校は、推薦で私立の女子校に入学しましたが、比較的荒れていた中学から品行方正な女子高へ進学したら一気に気持ちが解放されてしまって……。高校時代は、勉強そっちのけでお笑い担当をやってました(笑)。

結局、周りの友達は4年生大学に進学する中、私は短大に進学しました。

廣田: なんと、お笑い担当だったんですね(笑)!大学時代は如何でしたか?

石原さん: 高校時代と変わらずいつも友人を笑わせていたのですが、この頃、今の事業につながる原体験となる出来事がありました。

高校時代お笑い担当だったこともあり(?)軽快なトークで楽しませてくださる石原さん

経営悪化による家庭崩壊

石原さん: 父が経営する町工場の取引先が部品調達を海外へと移行し始めたことで、父の工場の仕事が激減するようになりました。それとは対照的に、母の事業が順調に拡大するにつれて、父が塞ぎ込むようになっていったのです。

そんなある日、父が自ら命を絶とうとしました。

突如訪れた誰にも甘えられない環境

石原さん: 幸い、母も私もその場にいたため、すぐに通報し一命を取りとめることができました。母が大きく取り乱す中、しばらくすると親戚のおばさんが駆けつけてくれて、漸く私も甘えられると思ったら、開口一番、「あんたがここで泣いちゃだめ!今日からあんたが大黒柱なんだから!」と言われたんです。

学生モードが一気に冷めて、その瞬間から、女性だからとか、甘えて生きるとか、そういう感覚が一気になくなりました。

結局、父は私が20歳のときに、自らの人生に幕を閉じました。

ある日突然、数時間の出来事で人生がガラッと変わってしまう、まるで直下型地震のような出来事でした。そこから、死生観はもちろんのこと、自分の人生に対して深く考えるようになりました。

救いとなった母の経済力。事業に繋がる原体験に

石原さん: 母は精神的にまいってしまい、私は一家の精神的支柱にならざるを得ませんでしたが、唯一の救いは、母に経済力があったことでした。それがなければ、本当に悲劇でしかありませんでした。

そのときに、男性でも女性でも大切な人を守るため、そして、自分の未来を創るために経済力は絶対に必要なものだと思い知らされました。

今、私がSurpassで描く、女性にキャリアをという思いは、このときの体験に根付いたものだと思っています。

廣田: そんな大変なことがあったのですね。お母様にも頼られて、甘える先がなくて当時は精神的にもかなりお辛かったのではないですか?

行き場のない怒り。半ば自暴自棄に

石原さん: そうですね……。短大の2年間は、父が塞ぎ込み、亡くなるまでの期間が完全に重なっていました。一般的に、学生時代は自分の裁量で自由に動ける時間が取れるじゃないですか。

本当は海外留学したかったけど、自分の力ではコントロールできないものに翻弄されたことに加え、母や9歳年上の姉からも頼られて、「なぜ私が?」という、行き場のない怒りがありました。

自分の人生に対してもやや自暴自棄になり、友人たちの就職が決まった後も、「自分はいいや」と思って、適当にやり過ごしていました。

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偶然のお声掛けから生保の営業職へ

石原さん: そんなときに、大手生命保険会社の方が、短大卒のチームがあるからということで、生命保険の営業をやってみないかとお声掛けくださったんです。無事試験に受かり、父の納骨の翌日に入社式を迎えました。

廣田: 生命保険の営業職は本当に成り行きだったのですね。ただ、お若いうちからトップセールスとしてご活躍されていたとお伺いしました。それまでのお辛い気持ちから、どのように気持ちを切り替えられたのですか?

怒りを原動力に。入社2年目でトップセールスに

石原さん: 気持ちに火を点けてくれたきっかけがあったんです。家の前の印刷屋のおじさんに、「その仕事、絶対に難しいからすぐに辞めちゃうよ」って言われて、すごくカチンと来て。そのときに、この2年間溜まっていた様々な思いが爆発したんだと思います。

向こうからすると、経験のない20歳の女の子に務まる仕事じゃないと言いたかったんだと思いますが、世の中の男性のバイアスみたいなものを感じ取ったんでしょうね。

「絶対にこのおじさんを見返してやる!」

石原さん: 20歳だからとか、女だからとか、そんなの関係ない。こっちはこの2年間壮絶な体験をしてきて、内情も知らないくせに見た目で判断するな!という思いが爆発したんだと思います。

「2年後、絶対にこのおじさんを見返してやる!」と心に決めました。

廣田: 笑!すごい。でも、その方の一言で頑張る原動力をもらったんですね。

石原さん: はい。実際は、すぐに辞めなかったばかりか、2年目にはトップの成績を取って、しっかり見返せたと思います(笑)。

母との株の対話から大局観を養う

廣田: えー、すごい。それにしても、トップセールスってなろうと思っても簡単にはなれないと思うのですが、石原さんはどこにご自身の強みがあったと思われますか?

石原さん: ひとつあるのは、母が若い頃から株が好きで、幼少期から株の話をよく聞かされたんです。中高生の頃は、様々な銘柄の話を実生活に結びつけて母と会話していたので、自然とマクロ経済のトレンドだったり、物事を俯瞰して見たり、大局を見て逆算して物事を考えたりすることが得意になりましたね。

トップを目指したわけではなく、目の前のお客様に一生懸命

石原さん: 今、女性活躍が大きな波になりましたが、15年前に事業を始めるときも、将来的には女性活躍が当たり前になると思って事業内容を決めたので、そこでも役に立ったと思っています。

廣田: なるほど、まさに先見の明!素晴らしいですね。

石原さん: あとは、これは今も変わりませんが、トップになろうとか誰かに負けたくないという気持ちは全然なくて、それより、とにかく目の前のお客様にお役に立てることは何かを考えて動くことですかね。

とにかく目の前のお客様にお役に立てることは何かを考えて動くと石原さん。さすがは元トップセールス!

女性社長のTV特番を見て起業を決意

廣田: 本当にその通りですね。それにしても、まさに順風満帆といった印象を受けますが、何をきっかけに辞めようと思われたのですか?

石原さん: 生命保険会社に就職して1年目の年明けに、女性社長の特集番組を見たんです。情熱大陸だったと思います。そのときに、「なぜここに映っているのが自分じゃないんだろう?」と思ったんです。

廣田: なんと(笑)!

石原さん: いや、普通に考えたら妄想癖というか、ただのアホだと思われると思います(笑)。ただ、それからは、営業で良い成績を収めていても、頭の片隅にはずっと起業への思いがありました。

退職するために世界一周旅行を敢行

廣田: その成績だと引き留めが大変だったんじゃないですか?

石原さん: はい、辞めようとしても辞められなくて悩んでいたときに、以前、中華街に遊びに行ったときに何気なく手に取った世界一周旅行のパンフレットが出てきたんです。

そうか、世界の裏側に行けばさすがに追いかけて来ないだろうし、起業するうえでも、何か自分を装飾するためのネタがあった方がいいだろうから、これはうってつけだなと思ったんです。

早速、既成事実を作りたいと思って、旅行会社に電話したところ、最後の1席と言われて、すぐにお金を振り込んで、チケットを確保しました。

廣田: えー、すごい!それで世界1周旅行を敢行されたんですね。一度リセットして物事を俯瞰して人生を考えるにはもってこいのイベントでしたね。実際に行かれてみて如何でしたか?

20数か国を巡り、日本のゼロの位置の高さを理解

石原さん: 100日間の船旅で20数カ国、南極以外の大陸に全て行きました。基本、先進国には行かないツアーだったこともあって、そこで気づけたのは、日本にいるとゼロの位置が高いんだなと。

何をもって幸せか、豊かであるかはさておき、国によってゼロの位置が違うことと、日本はゼロの位置が高いというアドバンテージがあるということを認識できたのは、のちにビジネスアイディアを考えるうえでとても良かったと思います。

廣田: いやー、素晴らしいですね。私も機会を作って行ってみたいです。

起業ネタ探しのため派遣の仕事を転々と……

廣田: さて、驚きましたが、ご帰国後に生命保険会社を無事退職されたあと、起業ではなく、派遣のお仕事を転々とされたんですよね?これは、その先を見越しての行動だったんですか?

石原さん: そうなんです。いざ起業しようと思ってもネタがなかなか見つからなくて。自分のオリジナリティを出せる分野で、かつ、ありそうでないけれどもあったら絶対に使いたいサービス、私の中では、これをパープルオーシャンと呼んでいますが(笑)、それを考えたかったんです。

もともと、本を読むよりも実際に経験して考えが湧くタイプなので、とにかく経験を積むことが重要だと思って、様々な派遣をやりました。

起業のアイディア探しのためにひたすら派遣を転々とされた石原さん。すごい行動力です!

インフラ事業の当たり前のすごさに感銘を受ける

廣田: すごいですね。実際にどのようなお仕事をされたのですか?

石原さん: 営業職が中心ですが、例えば、ペットの保険会社やグルメアプリの立ち上げ、大手文具メーカーでの営業、上場企業のIR(投資家向け)関連資料の翻訳事業などですね。

特に面白かったのは、地下水のプラントビジネスでした。

地下に溢れる雨水を濾過して、病院やスーパーのような規模の大きな施設の水道水として安価で活用するサービスを展開する事業でした。これに携わったことで、普段目に触れる機会はなくても、このようなB-to-Bビジネスが私たちの安心安全を支え、ゼロの位置の高さを守ってくれていることに気づかされました。

このようなインフラビジネスでは、サービス業に比べて女性の進出が遅れていますが、一般的に女性が好む見た目がキラキラしたものでなく、こういう当たり前に感謝できるサービスに携わりたいと思うきっかけをくれました。

正社員に勧誘される度に転職を繰り返した

廣田: 本当に様々な業界で経験を積まれていますが、仕事を選ぶ際の軸のようなものはあったのですか?

石原さん: いや、軸はなかったですね。ただ、正社員に勧誘されたら転職することにしていました。社員になると居心地が良くなって動けなくなるから……(笑)。

廣田: なるほど、それはすごい(笑)!
起業のタイミングはどのようにしてやってきたんですか?

「起業するなら、今」思った2日後にクビに

石原さん: 24歳から派遣を始めて、気づけば28歳になり、30歳までに起業しないとまずいという焦りがありました。しかし、起業ネタは固まらず悶々としていたある夜、テレビをつけたらまた女性起業家の特集番組が流れてきて、「あ、行くなら今だ」と思ったんです。そしたら、その2日後にクビになったんですよ(笑)。

廣田: えー、それはまた、すごいタイミングですね。

石原さん: そのとき思ったんです。これは「一回やってみろ」ということだなと。余談ですけど、20歳のときに占いで鑑定してもらったときに、32歳からうまく行くという話を聞いて……。私はそんな器用じゃないから、何回か失敗するとして、28歳の今、始めるのがいいかなと思ったんですよね(笑)。

廣田: ご自身のことを客観視できていて、すごいですね(笑)。ビジネスアイディアは固まりつつあったんですか?

これまでの経験を通じて「女性営業」に商機を感じる

石原さん: ぼんやりでしたけど、どこで派遣をやっても正社員になって欲しい、また、女性の営業チームを作って欲しいということはよく言われていたんです。また、私は生命保険の女性チームにいたので、それができると思われていたんですね。

それで、女性営業のアウトソーシング事業でチャレンジしてみようと思いました。

これまでの経験が全て繋がった、女性営業のアウトソーシング事業で起業を決意

起業の翌月にリーマンショックが到来

廣田: 確かに、これまで石原さんがやられてきたことが全て繋がってますものね!
是非立ち上げ当初のお話をお聞かせください。

石原さん: 2008年の8月末に銀座で小さなレンタルオフィスを借りて、一人でひっそり立ち上げました。ところが、いきなり翌月、100年に1度の金融危機と言われたリーマンショックがやってきて、「こりゃ、すごいときに立ち上げちゃったな」と……。

「派遣切り」が流行語にも選ばれたの、覚えてますか?世間は派遣社員の契約を打ち切ってる傍らで、営業のアウトソーシングの営業電話をかけまくる……。そりゃ、決まりっこないですよね。

「数字が作れない」初めての経験

石原さん: 窓のない部屋で、来る日も来る日も、ひとりで営業電話をし続けましたが、「過去にこれだけ営業やってきて、こんな向かい風あった?」ってくらい厳しかったですね。8月に立ち上げて、年内まで売上ゼロ。

就職して8年、多少数字が作れたから、チヤホヤされて調子に乗ってたんだと思います。こんなに人に必要とされないことに愕然として、さすがに病んできましたね……。

廣田: そのお気持ち、身に沁みて分かります……。最初にお仕事が決まったのはいつ頃だったんですか?

半年後に初案件獲得も、女性が集まらず……

石原さん: 最初にある程度の規模のお仕事を頂いたのは、年明け2〜3月頃でしたね。以前に名刺交換をさせて頂いたある上場大手企業の方から、新規事業の立ち上げで営業のアウトソースを活用できないかという話でした。

廣田: おー、素晴らしい!あれ?でも、このときって、まだお一人ですよね?

石原さん: そうなんです。このお話をいただいて、初めて採用を始めたんです。でも、ハローワークに求人出したらおじさんしか来なくて、「嘘でしょ?」みたいな(笑)。

廣田: なるほどー(笑)。でも、最初から営業のプロ集団を集められたと聞きました。よく集まりましたね?

石原さん: いや、最初は30代の男性しか集まらなかったんです。自分ももちろん現場に入るんですけど、「女性の営業」を謳ってるのに、先方は騙された感ありますよね(笑)。

廣田: 最初は、あるあるですよね(笑)。
そこからは安定していかれたんですか?

創業4年目に突如起こったクーデター。スタッフ全員が退職

石原さん: いや、そのお仕事は安定していたんですけど、それ以外が全然安定しなくて、ゆらゆらしながら少しずつ増えていって、何とか4年目に10名強のスタッフになったんです。

ところが、その4年目に社内クーデターが起きて、スタッフ全員が辞めるという事件が起きたんです。

廣田: なんと!!


(後編に続く)



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【プロフィール】

石原 亮子(いしはら りょうこ)
株式会社 Surpass 代表取締役社長

1979年、東京生まれ。20歳から大手生命保険会社でトップセールスとして活躍。一部上場企業からベンチャー企業まで100業種以上の営業実績を持つ。2008年8月「女性営業の力を社会的意義のある事業に生かしたい」と いう思いで株式会社Surpassを創業、代表取締役社⻑に就任、現在に至る。営業を通して、女性のエンパワーメントの向上に努める。LTV(永続的な信頼関係と売上の構築)を重視した女性による営業アウトソーシングのパイオニア

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一番重要な木型から入られているのは素晴らしい

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