HSインタビュー vol.5-1: 産婦人科医/経営者 対馬 ルリ子さん 「女性が主体的に自分の人生を選択することを、医療の分野から助けたい(前編)」

HSインタビュー第5回目のゲストは、産婦人科医/経営者 対馬 ルリ子さん
Heading Southは、「Wardrobe designed to “move” you. 『動き出す』あなたのそばに、『感動』のいつもそばに」をブランドステートメントに、ありたい自分に向かってチャレンジする人々に寄り添い、応援する存在でいたいと願っています。Heading Southが理想とする女性像「ありたい自分に向かって、しなやかに生きるひと」にクローズアップする「HSインタビュー」の第5回のゲストは、産婦人科医/経営者の対馬ルリ子さんです。

日本のウィメンズ・クリニック設立のパイオニア
対馬さんは、国内の女性専門外来の黎明期にウィメンズ・クリニックを設立されたパイオニア。女性専門外来に対する理解が得られていない頃からその必要性を呼び掛け、2001年に女性のための生涯医療センターの立ち上げに参画された後、ご自身で、現在の「対馬ルリ子 女性ライフクリニック銀座」の前身となる「ウィミンズ・ウェルネス銀座クリニック」を開院されます。さらに、2012年には、新宿伊勢丹内に二拠点目となる「女性ライフクリニック新宿」を開院。現在、両クリニックの経営者兼理事長として診療に従事されながら、院外においても、女性支援活動に積極的に関与されています。日々精力的に活動される対馬さんのパッションの源について、お伺いしました。
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HS: 本日は、とてもお忙しい合間を縫ってインタビューのお時間をいただきありがとうございます。対馬さんは、クリニックの理事長として活動されているだけでなく、院外でも様々な女性支援活動にご尽力されていて、本当にお忙しくお過ごしですね。

対馬さん: そうですね、私は、クリニックの経営者でもありますが、担当医師として週に6日、朝から夕方まで診療を行っています。私のクリニックは、女性のかかりつけ医として、女性の心と身体の健康に関わる専門家たちが協力して診療にあたっていますが、お一人ずつ丁寧にお話を伺い、診療を行います。そのため、どうしても診察人数が限られてしまいます。3ヶ月先まで予約枠を設けて開放するのですが、すぐに埋まってしまうため、診療以外の活動は、日曜や、前もって時間を空けておいて活動しています。クリニックの外に出て社会に発信したり、政治家や他の団体と連携して状況を変えていくことも大切だと考えており、診療だけでなく、それ以外の活動にもできるだけ積極的に参画しています。

最近では、8月に日本女性財団という一般財団を立ち上げました。コロナ禍で、DVや虐待、レイプなどの被害がエスカレートしています。また、シングルマザーの収入減の問題も深刻です。UN Women(国連女性機関)からもコロナ禍における女性・女児に対する性的・身体的暴力の増加が報告されていますが、そのような方々を各方面からサポートする機関・団体をまとめて、医療やヘルスケア、経済面からプラットフォームとして支援できないかと思い、同じ思いを共有する仲間たちと活動を始めています。

対馬さん対談対馬さんの包み込むような優しい笑顔のお陰で、終始リラックスした雰囲気でお話をお伺いできました!

HS: 診療で大変お忙しい中、そのような活動にも従事されていらっしゃるとは、本当に素晴らしいですね。対馬さんのご活動内容をお伺いすると、全ての女性がより良く生きて欲しいとの思いがひしひしと伝わってきます。お仕事も院外の活動も、このパッションが原動力になっているのではと思うのですが、その原点はどこにあるのでしょうか?

「女で残念じゃない世の中にしたい!」との思いが原点
対馬さん: 私は、開業医の娘として生まれたのですが、田舎なこともあって、「女で残念」と言われて育ったんですね。「女で残念じゃない世の中にしたい!」と思ったことが根底にありますね。幼い頃から、あまり勉強しなくても成績が良くて、家も裕福な方だし、見た目も悪くなかったんですね(笑)。それが当たり前だったせいか、学校の先生に、「あなたは何でも持ってるけど、残念なのはハングリーさがないこと。ハングリーさがないから大成はしないだろう」って言われて、すごく悔しかったんですよね。

あと、思春期に、医学部に行った方がいいと言う人もいれば、医者なんてならずにお婿さんもらいなさいとか、医学部に行ったら(嫁に)行き遅れるとか、周りの人たちにあれこれ言われて、本当にうざかったんですね(笑)。

女には期待できないとか、女の子は勉強とか進学とか、そんなこと考えなくていいんだって言われると本当に悔しくて、この状況を覆したいと思っていました。おそらく、この悔しい思いをテーマとして忘れないようにしようと思ったのが、原点かもしれませんね。

HS: 私も田舎の出身で、生まれたとき、女では家業は継げないから要らないと言われて、同じような思いを抱いて育ちましたので、とても共感しますね。医師を目指されたのは、家業を継ぎたいとの思いがあったからですか?

医師を手段として、その先に何をするかを考えていた学生時代
対馬さん: いや、私は、学生時代はたくさん遊んで、浪人もしましたし、その頃興味のあった女性開放運動の本を読んでは上京して活動家の先生に会いに行くなど、様々な世界を見る中で、医師免許は何かに使えるかもしれないと考えていました。家業を継ぎたいとの思いよりも、医師を手段として、何をするかを考えていたと思います。医師としての専門分野を決める際、女性を助ける仕事をするための選択肢として、産婦人科、精神科、小児科、公衆衛生の母子保健などが頭に浮かびましたが、先ずスキルがあることが大事だと思い、産婦人科を選びました。

HS: えー、それはすごいですね。学生の段階で、医師を手段として、その先に何をするかを考えて医学部に進学される方は、実際のところ、珍しいのではないでしょうか?

対馬さん: 日本の制度って、医学部に入学した段階で、医者になる人を選抜しているようなものだと思うんですね。大半の人は、中高のときに勉強ができたから何となく医学部を受験して、医学部に入ったら、与えられた課題をこなすうちに医者になる。医師国家試験はありますけど、職業訓練校のようなものです。多分、9割くらいの人は医学部に入学したら、医者になることしか考えてないんじゃないかな・・・。

対馬さん靴試着普段から鮮やかなカラーがお好きとのことで、様々なカラーをお試しいただきました

HS: 医学部卒業後は、産婦人科医としてのキャリアをスタートされたのですね。勤務医からその後、ウィメンズ・クリニック設立を目指されたのは、何かきっかけがあったのですか?

女性が主体的に自分の人生を選択することを、医療の分野から助けたい
対馬さん: 国内での低用量ピルの解禁に向けての活動を行い、日本では世界に遅れること39年、1999年に認可されたのですが、その際に日本の女性医療の代表者のひとりとしてアメリカにお招きいただきました。ホワイトハウスで女性の健康課題を発表したのですが、その出張で、アメリカの性差医療(男女の様々な差異により発生する疾患や病態の差異を念頭において行う医療)の現状や医療センターを数カ所訪問する機会を得ました。また、別の機会に、オーストラリアのメルボルンに訪問したのですが、そこでは、ウィメンズ・ホスピタル、チルドレンズ・ホスピタル、アドレセント(思春期)センターがあって、性差は勿論のこと、ティーンの健康課題をメルボルン大学と臨床研究しながら、地域で啓発活動や支援を行っているのを見て、感心させられました。

私は、女性が主体的に自分の人生を選択するということを、医療の分野から助けたいと思いました。それで、ウィメンズ・ヘルスセンターの設立が日本でも重要だと、大学にも東京都にも声掛けしたのです。ただ、指導者の男性たちは、「なぜ今の医療じゃダメなの?」と全く必要性を感じてくれませんでした。また、医科に横串を刺して包括的に診察することは既得権益の侵害にも繋がると言われ、快く捉えてもらえませんでしたね。

臓器別、疾患別の医療は、実は、全て男性目線の医療なのです。性差医療が認知される前は、女性のからだは、子宮や乳房以外は男性と同じと考えられてきました。しかし、女性はホルモンの働きも、かかりやすい病気も、心の在り方も、男性とは異なります。女性の場合、臓器別医療だと問題点の発見に繋がりにくく、心と身体を分断することなく、トータルな存在として診ていくことが重要なのです。

HS: なるほど。女性である私自身の感覚としては、「まさに!」という感じですが、お恥ずかしながら、私自身知識が浅く、このお話は大変勉強になりました。性差医療において、日本は相当遅れてるんですね・・・。

対馬さん: 正直、日本は30年以上遅れていると思いますよ。世界では、1990年代には、リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(SRHR:性と生殖に関する健康と権利)の考え方が広まりました。女性は、リプロダクティブ・チョイス(子供を産むか否か、いつ、何人産むかの選択)と生き方が密接に関係するため、この権利は、女性が主体的に自分の人生を選ぶことに直結するのです。ところが、日本では、最近になってようやく、リプロダクティブ・ヘルスについて、学会が取り組むようになりました。

HS: 30年以上とは、想像以上でした。驚きですね・・・。お話を戻しますが、ウィメンズ・クリニック設立に向けて声掛けを続けられて、その後の設立までの経緯をお聞かせいただけますか?

ウィメンズ・クリニック院長就任も半年で辞任へ
対馬さん: 2001年にチャンスが到来します。器を用意するからやってみないかという声が掛かったのです。産婦人科医である私のほか、内科、泌尿器科、精神科の女性医師が集まり、女性のための生涯医療センターを立ち上げました。雇われの身ながら院長として活動していましたが、診療に対する方針において経営陣とぶつかり、たった半年で辞めることになったのです。

HS: えぇ!?たった半年で?どの辺りに問題を感じられたのでしょうか?

対馬さん: 経営者も女性でしたから、当事者目線をもって女性である患者さんのケアをしたり、女性の味方である女性医療を理解してくれると、当然思っていたのですね。初診の女性は、じっくり時間を掛けてお話をお伺いしないとトータルに診ることはできません。私は、何ヶ月も順番を待って、遠方から来てくださる患者さんと様々な思いを共有して、一緒に怒ったり、悔しがったりします。でも、経営側からすると、それが非効率に見えたのでしょうね。そして、患者ファースト主義の現場に対して、経営者である自分が一番偉いんだから、自分が来院する際には患者さんを待たせておけばいいという考え方も、合わなかったですね。

結局、そのまま自分で立ち上げることにしたんです。開業資金がない中で、場所は銀座ですが、保健室みたいな小さな診療所からスタートしました。ただ、小さくてもいいから、本質が備わっているものにしたかった。

クリニックのポリシー(方針)が明確にあり、医師や医療従事者だけでなく、様々な人々が参画することで、皆が啓発され、活動できる方向へ持っていきたいと考えていました。ただ、立ち上げた途端に、東大病院、都立墨東病院など、これまでの勤務先の病院で診ていた患者さんたちが来てくれて。お陰様で、最初から何千人も顧客を抱えて診療を始めることになり、すぐに手狭になりました。

HS: それは、対馬さんのように、患者さんそれぞれを「個」の女性として受け止めて診療してくださるお医者様を求めている患者さんがとても多いことの証左ですね。私も、お話をお伺いしていて、是非継続的に診ていただきたいと思いましたもの(笑)。

対馬さん: 私にとって、患者さんは私のお友達であり、同じ時代を生きる仲間だと思っています。病気で来ているというよりも、情報交換をしたり、最近、こういうことがあったとか、お互いにやりとりをしている中で、ヒントを得ることで私もスキルアップしていますし、患者さんも健康度が上がっていくのですよ(笑)!

後編へ続く・・・

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【プロフィール】
対馬ルリ子
1958年青森県弘前市生まれ。84年弘前大学医学部卒業、東京大学医学部産科婦人科学教室入局、東京都立墨東病院周産期センター産婦人科医長などを経て、2001年女性のための生涯医療センターViVi設立、初代院長就任。2002年ウィミンズ・ウェルネス銀座クリニック(現・対馬ルリ子 女性ライフクリニック銀座)開院、03年NPO法人女性医療ネットワーク設立、12年女性ライフクリニック新宿開院。17年日本家族計画協会「松本賞」、「第46回デイリー東北賞」、18年東京都医師会・グループ研究賞受賞。医療法人社団ウィミンズ・ウェルネス、女性ライフクリニック銀座・新宿 理事長。東京大学医学部大学院非常勤講師。産婦人科医師、医学博士。