HSインタビュー vol.6-1: 日経クロスウーマン創刊編集長 羽生 祥子さん 「今日から『余生』と思えば、本当に好きなことに没頭できる(前編)」

HSインタビュー第6回目のゲストは、日経クロスウーマン創刊編集長 羽生 祥子さん
Heading Southは、「Wardrobe designed to “move” you. 『動き出す』あなたのそばに、『感動』のいつもそばに」をブランドステートメントに、ありたい自分に向かってチャレンジする人々に寄り添い、応援する存在でいたいと願っています。Heading Southが理想とする女性像「ありたい自分に向かって、しなやかに生きるひと」にクローズアップする「HSインタビュー」の第6回のゲストは、日経クロスウーマン創刊編集長の羽生 祥子(はぶ さちこ)さんです。


日経BP社の女性向け媒体を統括する最年少編集長
羽生さんは、日経BP社が展開する女性向け媒体の総編集長。現在、『日経ウーマン』に加えて、『日経ARIA』(新しい働き方や学びに挑戦する40-50代向け)、『日経DUAL』(両立ノウハウが必要な30-40代ママパパ向け)、『日経doors』(キャリアと自分磨きに熱心な20-30代独身向け)のウェブメディア3媒体と、これらをクロスして働く女性の声を社会に届けるためのウェブプラットフォーム、『日経xwoman(クロスウーマン)』の総編集長としてご活躍です。


中でも、『日経DUAL』『日経ARIA』『日経xwoman』はご自身で企画立案し、創刊まで漕ぎ着けたバイタリティの持ち主。男性社会と言われるビジネス向け出版業界において、2013年、36歳の若さで最年少女性編集長に抜擢され、現在は、政府有識者会議委員や大学の特別講師など、社外でも積極的に活動されています。

京大卒の才媛でもあり、順風満帆な人生を歩まれてきたのかと思いきや、ご自身のやりたいことを実現されるまでに様々な紆余曲折があり、陰では人並外れた努力を重ねられてきたことがインタビューから窺えました。華やかなご経歴ながら、羽生さんの謙虚で親しみ溢れるお人柄や、言葉の端々から感じられる清々しい潔さは、そのようなご経験から培われたものなのだろうと思いました。羽生さんの逆境を跳ね返すガッツ溢れるお話に、大いに勇気をいただいた素敵なインタビューとなりました。
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HS:
今日は大変お忙しい合間を縫って、インタビューのお時間を頂きありがとうございます!先ずは、羽生さんのお仕事内容を教えていただけますか?日経BP社の女性向け媒体を統括する編集長のお仕事とはどのようなものなのでしょうか?


羽生さん: 現在、ウェブプラットフォームである『日経xwoman』の中にある、『日経ウーマン』と『日経ARIA』『日経DUAL』『日経doors』の3サイトにおける編集コンテンツの全責任を負っています。最近、日経クロスウーマングループに、紙の月刊誌『日経ウーマン』も加わりました。編集というと、通常は記事の内容を事細かにチェックするデスクの役割が中心ですが、私は創刊編集長なので事業全体のプランや仕切りも担当し、4媒体それぞれのコンテンツの方針や全体的な構成の決定、事業損益も見ています。日経BP社では、ビジネス、テクノロジー、医療、トレンド(マーケット)、ウーマンの5つのセグメントがあり、それぞれに統括する編集長がいますが、私は、そのうちのウーマンの分野の統括をしています。

HS: 私は以前金融業界にいたので、日経(日本経済新聞)や日経BP社発行のメディアは昔から慣れ親しんでいますが、めちゃくちゃ男性社会のイメージで、正直、こんなにお若い女性編集長さんがいらっしゃることに、とても驚きました。

羽生さん: 私は新しいマーケットを予見しながらメディアメイキングをしていくのが得意分野です。既存メディアの編集長を継承するのではなく、新創刊を任されてきたので昇進のスピードは比較的早かったように思います。どんなジャンルの媒体でもそうですが、決めた期間内に事業を収益化させることはとても重要です。私は『日経DUAL』や『日経ARIA』など、割と若いうちから、事業計画を含めてターゲットの方針やコンテンツポートフォリオを企画立案し、新事業創出に手を上げてきました。

後任の女性たちのためにも伝えたいのですが、今の時代は、マスメディアにいなくとも全員がネット上で発信できて、「全員が編集長状態」です。編集の仕事は、昔は一部の人間しかできない職人仕事で良かったと思いますが、今は編集のスキルが突出しているだけではダメ。編集と事業プランの双方が考えられることがとても大事な時代です。

羽生さん対談羽生さんには、美しい柄のスカートに002 Ocra Rossaを合わせていただきました!

HS: なるほど、仰る通りですね。今でもご自身で取材をされたりしますか?

羽生さん: 政治家や経営者などは取材させていただくことが多いです。また、編集長は、オピニオンリーダーとしての役割も担うため、公務も多いですね。内閣府、厚労省、東京都の有識者会議のメンバーを務めたり、大学の特別講師などもやらせていただいたりしています。

HS: 羽生さんのご経歴を拝見して興味深いと思ったのですが、京都大学農学部入学で、総合人間学部卒業とあります。そして、今は、編集という文系のお仕事に就かれています。よほどの思いがないと転部されたりしないと思いますので、ご自身と向き合われた結果のご決断だったと想像するのですが、当時、どのような思いがあったのですか?

羽生さん: 父が物理の研究者だったこともあり、小さい頃から理数系は得意な方だったんですね。

小さい頃から知識欲がかなり旺盛でした。田舎の普通の小中学校に通っていたこともあり、学校の授業では満足できなくて、先生にお願いして特別に数学の問題を出してもらうなど、少し特異な存在ではありましたね(笑)。

HS: わー、もうバリバリの秀才ですね(笑)!お父様が物理の研究者で、羽生さんも理系科目がお好きだったんですね?

成績優秀で理数科へ進学するも、先生の目を盗み哲学書を読み耽るほど文学が大好きだった
羽生さん: 
田舎にありがちな話ですが、成績優秀者は、高校は理数科に進学するんですね。私が中高校生だった1990年代頃の地方都市の進学校は、殆ど教育虐待に近いほどのスパルタ(笑)。本人の希望に関係なく、成績優秀者は皆、東大理三(東京大学理科三類)を目指すもの、みたいな感じでした。


高校3年間はすさまじく勉強してましたね。時間を惜しんで歩いているときも勉強しなくちゃいけないくらいハードで、高校3年間は一度もリビングのソファに座ることがありませんでした。大学に合格した後、4年ぶりに自宅のリビングのソファに座ったときのお尻の感覚を今でも覚えてますね(笑)。そのくらい猛烈でした。

ただ、理数科に進学しながらも、実は、中高時代から密かに編集長になりたいとか、作家になりたいとか思っていたんですね・・・。数学や物理化学も大好きでしたが、実は、文学も大好きで。文学や哲学書は名著を読み漁って、夏目漱石や安部公房は心の支えでしたね(笑)。受験地獄の合間に、サルトルやキェルケゴールなどの実存主義小説を先生に見つからないように机の下に隠して読んでました。見つかると先生に没収されるんですよ、「小説などは合格してから読みなさい」と(苦笑)。

HS: ひゃー、私も一応田舎の進学校に通ってましたが、もうレベルが違い過ぎますね(笑)。で、そのままの流れで大学は理系学部に進学されるのですね。

農学部に進学するも、本当にやりたいことに向き合うために、京都大学を再受験
羽生さん: はい。憧れだった京都大学の農学部に入学するのですが、入ると研究室にこもって実験ばかりの日々でした。高校時代から実験は好きでしたが、いざ就職をイメージすると「これは仕事にはできないな・・・」と。当時、発酵や微生物を扱う研究室にいて、本当に細かく地道な作業が尊い分野。これ以上進んだら後戻りできない。私が本当に好きなのは、文学であり、表現することや編集することだと、覚悟を決めました。結局、農学部は1回生の夏でやめることを決断し、転部試験を受け直して、総合人間学部の国際文化学科へ再入学しました。総合人間学部を選んだ理由は理系・文系の2つの学位が取得できるからです。文理どちらも好きということを活かして、主専攻が文芸論、副専攻が認知科学論で卒業しました。


HS: 本当にやりたいことが定まったのですね。でも、卒業後はすぐに就職されずに渡仏されたんですね?これはどうして?

羽生さんアップ凛とした雰囲気の羽生さん。プライベートの質問まで、ひとつひとつ丁寧にお答えくださいました

疑問を持った就職活動。就職に失敗し、渡仏するしかなかった
羽生さん:
実は、就職活動の波に乗れなかったんですよね・・・。今でこそ、就活ルールが廃止されるなど、新卒学生を一括採用する雇用形態も変わりつつありますが、20年早かったですね(笑)。私が就職活動を始めた時期は、ちょうど、リクナビなどの就職ポータルが始まった頃で。でも、今のマイナンバーみたいに国から要請されるなら仕方ないですけど、なんで民間企業に対して個人情報を登録して、みんな一律のタイミングで就職活動しなければいけないのか疑問に感じてしまって。「いつ卒業したかで、キャリアのスタートが一方的に決まってしまうの?」と青いことを考えてしまったんですよね(笑)。「私は、私のやり方でやるわ」と登録せずにいたら、就職氷河期だったこともあり、見事に就職ゲームに参加することすらできなかったんです。


当時は、新卒で入社しないと一生が終わるという雰囲気の時代で、「ニート」という言葉も生まれる前。もし、その頃「ニート」があったなら、「私、ニートです!」って笑って言えてたと思うのですが、それもなく、大学院に進学するわけでもない。結局、日本に居場所もなく、海外へ出てみるしかなかったですね。行先はフランスにしました。

HS: 私も青いことを考えるタイプなので、非常に共感しますね(笑)。でも、どうしてフランスだったのですか?

羽生さん: 京大時代の留学生の友人がフランス人で、私も専攻が仏語だったという単純な理由です。あと、何となく「このまま無難に就職したとて、きっと数年後には疑問を感じて、海外で暮らしてみたい!など言い出すだろうなぁ、私」という予感はありました(笑)。社会人になった後でこじらせる前に、先にワクチンを打っとく、みたいな感覚ですね。

HS: なるほど(笑)!フランスにはどのくらい滞在されて、何をきっかけに帰国しようと思われたのですか?

羽生さん: 友人宅で思い描いていたようなフランス生活を楽しんでいたのですが・・・。当時は血気盛んな20代前半。これから自分の人生を切り拓こうってときに、のほほんとコートダジュールの海を眺めてるだけなんて、やっぱりダメだと。また、日本にいる同級生から新社会人になった刺激的な話もメールで届いたりして、焦りに焦りました。結局、数か月で抜け出したんです。

HS: きっと日々様々な思いと葛藤されてのご決断ですね。その後はすぐ帰国されたのですか?

羽生さん試着その1お仕事では黒のパンプスを履くことが多いそう。この日はベージュかグレーでお迷いいただきました

国を放浪して見えた現実。この世に楽園なんてない。理想は自分の手で掴むしかない
羽生さん:
その後半年は、着の身着のまま、欧州各国を転々としました。ただ、そこで現実が見えたんです。


やることもないし、お金もないから、パリのチュイルリー公園のベンチで座っていたときのことです。あまりに暇すぎて地球が自転しているのを感じてしまった(笑)。地球は超高速で回っていて、空は刻々と動いているのに、私はさっきから1ミリも動いていない。目の前の感じのいいフランス人カップルも、よくよく会話に耳を傾けると、家賃が払えないとか、親の文句を言っていたり・・・。この美しいルーブル美術館の傍でもこれか!と。

そのとき、「どこ行っても一緒やな。楽園はない」と悟ったんです。

どこへ行っても同じ。日常があるだけ。理想は、自分で歩いて、自分の手で掴むしかない。

HS: それで日本に帰ることを決められたんですね?

これからは余生。65歳の気分で、「自分の好きなことだけ、とことんやる!」の気持ちで帰国
羽生さん:
はい。日本に帰ったら、気分は余生でしたね。もう、”have to”や”must”(やらねば)なんてなくて、これからは「余生」だと。65歳の気分で「もう好きなことだけやらないと!」とふっきれた感じでした。


2002年に帰国後、著名エディターの松岡正剛氏に師事し、編集の基礎を学びました。テレビ、新聞、雑誌、ラジオ、イベント、デジタル教材の作成のほか、MITと開発して日本で初めてのブログと言われている『千夜千冊』にも関わらせてもらい、ありとあらゆるメディアの編集実技を濃厚に学ばせていただきました。

松岡先生にとっては基礎の「キ」をなめた程度だと思いますが、やっぱりそのときも外が見てみたかった。2年半後、フリーランスとして独立します。自分で名刺を作って単発の編集仕事をもらうために必死で営業を始めました。

HS: その後、いよいよ2005年に日経BP社に正社員として入社されますが、そのきっかけは?

100枚の企画書を送って、現在勤める日経BP社へ出入りのライターとしての活動がスタート
羽生さん:
日経ホーム出版社(当時)との最初の繋がりは、当時『日経ウーマン』の編集長をされていた木田昌廣さんに、面識もないまま、企画書を100枚書いて送りつけたことがきっかけです(笑)。


HS: さすが(笑)!ガッツありますねー。

羽生さん: アイディアは次々と出てくる。もう、気狂いですよね(笑)。企画書を編集部に郵送したら運良くご連絡を頂けたので、「私は化学の分野に明るいので、『日経ウーマン』のモノクロのページの新商品コーナーが担当できます。美容商品の成分分析ができます。先ずはタダでいいので、お試しで使ってみていただけませんか?」とお伝えしたところ、ちょうど医療の分野をカバーできる人がいないから、そこをやってみる?という話になったんです。そこから、先ずは、出入りのライターとしての活動が始まりました。

抗酸化を謳う化粧品などが流行っていた時代。ファッションやビューティー担当のライターさんだと、パッケージの表面などイメージ戦略しか基本は見ません。私は裏面の成分内容を見て、「成分のほとんどは水とグリセリンしか入ってない」など科学的に指摘ができ、開発者との取材も深堀りすることを心掛けました。成分分析をきっかけに、科学的に斬る特集へ繋がっていきました。

HS: なるほど、そこから日経BP社との関係が深まっていき、正社員として採用されるのですね。でも、中途採用ってあんまりなさそうなイメージがありますが・・・。

羽生さん: 出入りのライターとして活動しながら、デジタル商品雑誌『日経ゼロワン』を経て、2005年に『日経マネー』の担当へ異動したタイミングで正社員になりました。ただ、ご想像の通り、当時、フリーライターや契約社員からの正社員化は前例がなく、初の事例だったと思います。

HS: いやー、前例なき道を自ら切り拓く。優秀な証拠ですね!

 

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【プロフィール】
羽生 祥子(はぶ さちこ)

1976年生まれ。京都大学農学部入学、総合人間学部卒業。卒業後に渡仏、帰国後フリーランス・契約社員・業務委託など多様なスタイルでの働き方を経験。2002年編集工学研究所に入社し松岡正剛に師事。『千夜千冊』「情報の歴史デジタル」などに関わる。05年現日経BP社入社。女性誌、デジタル誌などを経て12年『日経マネー』副編集長就任(35歳)。その後妊娠・出産の経験を活かし、働くママ&パパを応援するノウハウ情報サイト『日経DUAL』を企画立案、13年11月創刊編集長就任(36歳)。19年日経xwomanプロジェクトを立ち上げ、総編集長・日経ARIA編集長に就任(42歳)。日経doorsや日経ecomon編集長も歴任。編集部のマネジメント、サイト運営、取材執筆、各講師と子育てを奮闘両立中。趣味は水泳、料理、ピアノ、金融の勉強。あらゆる分野での日本女性のエンパワーメントに注力。
2020年西村大臣「選択する未来2.0」会議有識者、2015年&19年内閣府少子化対策大綱有識者メンバー、16-20年厚生労働省イクメンプロジェクト有識者メンバー、17-19年内閣府子供と家族・若者応援団表彰選考委員会有識者メンバー、19-20年東京都子ども子育て会議有識者就任、19年「京都の未来」円卓会議メンバー。
早稲田大学、中央大学、昭和女子大等、特別講義・講師担当。NHK『あさイチ』、テレビ東京『WBS』、などテレビ、ラジオ出演、企業内研修等多数。

 

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