HSインタビュー vol.8-1:柚木 和代さん(小売業)「会えば、必ずファンになる。人をワクワクさせる凄腕経営者(前編)」

HSインタビュー第8回のゲストは、柚木 和代さん
Heading Southは、「Wardrobe designed to “move” you. 『動き出す』あなたのそばに、『感動』のいつもそばに」をブランドステートメントに、ありたい自分に向かってチャレンジする人々に寄り添い、応援する存在でいたいと願っています。Heading Southが理想とする女性像「ありたい自分に向かって、しなやかに生きるひと」にクローズアップする「HSインタビュー」の第8回のゲストは、柚木 和代さんです。


会えば、必ずファンになる。人をワクワクさせる凄腕経営者
柚木さんは、大手百貨店グループの女性役員。43歳で最年少かつ同社初の女性店長に就任し、その後も、柚木さんが店長に着任した店舗は、地域一番店に輝いたり、業績が飛躍的に向上したりと、数々の結果を残されてきた、実力ある経営者。


筆者は、前職において数多の経営者と面談させていただくご縁を頂戴し、柚木さんとも10年超のお付き合いになりますが、最も尊敬してやまない経営者のおひとりです。

柚木さんの最大の魅力は、人を鼓舞し、巻き込む力。

百貨店の社員やパートナーはもちろんのこと、ブランドなど取引先の従業員も含めると、千名単位の人が働く百貨店。

大勢が働く館の業績を上げるには、もちろん優れた経営戦略も必要ですが、小売業における最大の資産である人、一人ひとりが、どれだけモチベーションを上げて働ける環境を作れるかはとても重要です。


そして、本当に凄い方なのに、それをみじんも感じさせない気さくなお人柄も柚木さんの大きな魅力。関西弁でユーモアたっぷり、そして、チャーミング。でも、経営手腕はものすごい。

このギャップがとても素敵なんです。全編関西弁でお届けしたい気持ちでいっぱいですが、それができないことをとても残念に思います。

趣味は、ライブ鑑賞。MAN WITH A MISSONからK-POPまで、ファンクラブのチケット争奪戦で当選したチケットを眺め、喜びを噛み締めるというこだわりも(笑)。

カラータイツを2種類ご持参(笑)
インタビュー当日も、ロックなブラックスーツに、コンテンポラリー・アーティスト奈良美智氏デザインの野外フェスTシャツを合わせた装いに、なんと、カラータイツを2種類、ご持参くださいました(笑)。様々なカラーコーディネートを一緒に楽しませてもらい、改めて、ファッションを楽しむ喜びや高揚感、接客の面白さを味わせていただきました。


是非お楽しみいただけましたら、嬉しく思います。

柚木さん対談赤のタイツに同色の004 Rosso di Kermesを合わせていただきました!

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廣田: 柚木さんとは、長くお付き合いさせていただいておりますが、柚木さんご自身の半生をこのような形でお伺いするのは初めてですので、今日はとても楽しみにしておりました!

私が初めてお会いしたときは、既に偉くなられた後でしたので、若い頃のお話を前々からお伺いしたかったんですよね!

柚木さん: 若い頃は本当に普通な感じでしたよ。小学校低学年まで食が細くて、掃除が終わってから残った給食を食べさせられてトラウマになるようなね(笑)。中学時代もそんなに目立ってないし、高校時代はバトミントン部に入って、楽しく部活動してた感じですね。

廣田: えー、小学生の頃のお話は、意外です!いつもパワーに満ち溢れている今の感じからは想像できないですね(笑)。

大学ではデザインを専攻されていたんですよね?その当時は、将来やりたいことがおありになられたのですか?

職業意識も高くなく、何かに優れているなんて全く思っていなかった
柚木さん: いや、もともとは英文科に進学しようと思っていたんですけど、たまたま、高校の担任が美術の先生だったんですよね。

私自身、絵が嫌いじゃなく、高校生なりに上手な方でもあったのと、クラスの中には美大を目指している子もいて、進学についてどうしようかと考えていたところ、担任の先生が、「迷ってるんだったら、進学の選択肢に入れてみたら?」と背中を押してくれたんですよね。


ただ、「上手だけれども、美大に合格するには基礎は必要だから」と言われ、高校2年生の終わりくらいから、デッサンの勉強のために、美大の予備校に通い始めたんですよ。

そのときは、将来何かになりたいとかはなく、絵やデザインは純粋に好きだし、楽しいと思っていたので、結局、美術学部に進学しましたね。

そもそも、職業意識も高くなくて、これは今もだけど、自分が何かに優れているとか、特別だなんて全く思ってなかったから。結婚願望があったわけじゃないけれども、きっと、数年間働いて結婚するんだろうなと思ってましたね。

廣田: えー、柚木さん、そんな感じだったんですね。今からは想像できないですね。

柚木さん: 大学に入り、当時は1年間で取得可能な単位数に制限がなかったから、美術や写真などあれこれ精力的に勉強しているうちに、3年生までに卒業単位が取れてしまって。

で、それなら、美術の教員免許でも取ろうかなと思い、出身中学で教育実習もやって、実は、教員資格認定試験にも受かったんですよね。


廣田: 柚木さん、教員免許持ってるんですか?!全く知らなかったです。でも、先生にならなかったんですね??

柚木さん: 教育実習では、生徒たちに「絶対に先生になってね!」と励まされ、その純粋さにアドレナリンが出てね(笑)。で、熱が入って、予備校にまで通って合格したから、当然先生になるつもりだったんですよ。

ところが、その当時は校内暴力が多く、特に美術など、受験とは無関係のクラスは荒れることが多くてね。結局、ギリギリのタイミングで先生になることを思いとどまったんですよね。

柚木さん対談経営から接客のあり方まで、小売りのプロに多くを教えていただきました

目指していた教師になるのをやめ、百貨店へ就職
柚木さん:
既に民間の就職活動は殆ど終わっていたので、さて、どうしようかなと。美術学部デザイン科でしたから、広告や宣伝販促ができるところがいい。

まだ募集をしていた先が2社だけあって、その1社が就職した株式会社大丸(現 株式会社大丸松坂屋百貨店)でした。当時、広告宣伝に比較的お金を使っている業界が、車と百貨店だったので、じゃあ、自分にとって身近な百貨店にしようと思って。


廣田: 広告宣伝をやりたくて、百貨店に入られたのですね?!最初から宣伝部だったのですか?

柚木さん: いや、最初の2年は売場で販売員をやってました。宣伝をやるつもりで入社したのに、将来が見えずに働く中で、教育委員会から「教師のポジションが空いてます」と何度か電話が掛かってきたりして。

母親からは、「あんなに必死に勉強して美大に行って、教員免許取ったのに、何でやらないの?」とよく言われていましたね。

結局、異動願を出し続けて、宣伝部へは、入社3年目で異動しました。

念願だった宣伝部に異動も、裁量権がないことに思い悩む
柚木さん:
宣伝部では、ウィンドウディスプレイなどを担当しました。

当時、私が働いていた大丸梅田店では、ウィンドウディプスレイや店内のデコレーターなどのスペシャリストを社内で育てようとしており、米国の企業と契約していて数ヶ月に1度レクチャーを直接受けるなど、恵まれた環境にあったんですね。

当時は珍しかった海外出張なども経験できて、仕事は楽しかったんですが、やっているうちに、ディスプレイでも広告でも、宣伝部に全ての裁量権があるわけではないことに気づくわけですよ。

百貨店は、当然ながら、営業部(売場)の意向が強い。自分たちの感性で決められないのであれば、結局、宣伝って職人みたいな仕事だなと。

若かったこともあり、このままこの仕事を続けていていいのか、悩ましく思うようになってしまったんですよね。

行動をもってチャンスを掴んだフランス研修
柚木さん: そんな悶々とした日々を送っていたある日、従業員食堂で、「フランス研修生募集」の貼り紙を見つけました。募集要綱を見たら、「営業経験5年以上、年齢28歳以上」とあって。

当時、私は26歳、営業経験も少なく、全部条件に合わなかった。しかも、募集締め切りまで、あと2日しかない。結局、条件を満たさないけど、大胆にも、ダメもとで応募したんですよね(笑)。


案の定、人事からすぐに電話が掛かってきて、「柚木さん、ちゃんと読んでますかぁ、応募要綱?」と(笑)。

「読んでます。でも、どうかなぁ?と思って・・・」とお伝えしたところ、「そんなにやる気があるんだったら、本社に出して見ますよ」と、人事が通してくれたんです。


そして、さらにありがたいことに、本社の人事担当も、「そんなにやる気があるんだったら、面接を受けに来て」と言ってくれたんです。

そのふたりのうち、どちらかに止められていたら、面接は実現しなかったですね。


廣田: おー、おふたりとも懐が深い!素晴らしいですね。

柚木さん: そうして、本社に面接を受けに行ったら、もう一つのミラクルがあったんですよ。

入社前に話は遡りますが、卒業旅行でパリに遊びに行った際、その当時パリにあった大丸の支店に訪問して、現地社長に、「来年入社します」と、たまたまご挨拶をさせていただいていたんです。

そしたら、面接官として目の前に座っていたのが、まさにその社長で、「おい、君!」と。ご挨拶から6年が経過していましたが、私のことを覚えていてくれたんです。

廣田: えー、それはもうご縁ですね!

柚木さん: 「何がしたいですか?」と面接で聞かれて、「これまでやっていたディスプレイなどで貢献したい。行かせてもらえるんだったら、自分から積極的に役に立てることを頑張りたいし、吸収できるものは全て吸収して帰りたい」と、募集資格もないくせに、偉そうに言いましてね(笑)。

でも、それまでの研修は、比較的年配の社員が頑張ったご褒美として行くイメージが強く、1年間研修に行っても、フランス語も話せないまま戻ってくる感じだったんですね。それは違うかなと思っていた。

柚木さん対談2色のタイツを合わせて、試着タイム!最高に楽しいひとときでした!

現地での活動が評価され、女性初の海外駐在員に抜擢
で、ありがたいことに、受かったんですよ。ちょうど、フランス革命200周年に当たる1989年の1年間、研修生としてパリに滞在しました。200年祭のイベントも目白押しの年で、本当にラッキーでした。

パリに滞在期間中は、美大出身の力を活かして、黒い台紙に、ファッション、雑貨、レストランとそれぞれのジャンル毎に雑誌を切り抜き、コラージュしてスクラップ帳を作っていました。

それが駐在員の間で使えると評判になり、帰国して1年後に、今度は女性初の駐在員として、3年間パリに勤務することになりました。


廣田: おぉ、行動をもって道を切り拓かれたんですね!素晴らしい!

ご自身では言い難いかもしれませんが、この頃は、既に頭角を現していたんですか(笑)?!


柚木さん: いや、上昇意欲もなかったし、全く普通だったと思うよ。自己採点すると、10点満点で4-5点くらい。

ただ、研修生でフランスに行ったのが27歳で、20代で駐在員を経験したのは、早かったのは事実ですね。駐在期間も3-4年と初めから分かっているから、そこで目一杯、自分の人生でやりたいことのために見聞を広めようとはしてたかな。


でも、駐在員として「こんな素敵なブランドがありますよ」と伝えたとて、仕入れの決定権を持つのは、バイヤー。結局、決められないんだと、最後は消化不良に陥ってましたね。

廣田: なるほど。20代ながら、裁量権を持てないことに対してフラストレーションを感じていらっしゃるところに、仕事に対する熱心さや責任感が伝わってきますし、まさに伸びしろを感じますね!

そういえば、これまでのお話をお伺いする限り、20代では、百貨店で最も裁量権のある営業部(売場)をほとんど経験されていませんが、初めて異動されたのはいつ頃ですか?

30代後半で初めて売場担当に。レジ打ちすら知らず、必死に勉強
柚木さん: 帰国後、販売促進を2年ほどやって、その後初めて、営業部(売場)のマネジャーになりました。ステーショナリーなど、大丸梅田店の事務用品売場の担当でした。

就任時は30代後半でしたけど、売場の係数管理もマネジメントも、レジの打ち方すら、売場のことは何も知らなかったんですよ。


廣田: えー、30代後半でゼロから勉強されたんですね?!柚木さんってすごいなぁ・・・。

柚木さん: だって、やらないとこの会社で生き残っていけないじゃない(笑)?

マネジメント手法や財務諸表の簡単な読み方は、会社から提供される座学を受けたりして、ファイナンスなどもう少し専門的な分野は、会社帰りに外部のスクールに通ったりしてましたね。


廣田: ここが柚木さんの凄いところなんですよ。本当に影の努力家ですよね・・・。

柚木さん対談ブルーのタイツに003 Blu Venezianoを。バッグとのコーデを楽しむ柚木さん

43歳で最年少、同社初の女性店長に就任
柚木さん: いやいや。で、その後、婦人服のマネジャーを経て、41歳で婦人雑貨子供服部長になり、その2年後、43歳で芦屋店長になります。

廣田: えぇー、営業部にマネジャーとして異動されてから店長になるまでの期間が圧倒的に短いんですね。

これは、花形である婦人服売場で結果を残されたということですよね。当時は、女性店長は少なかったんじゃないでしょうか?


柚木さん: 確かに、そのとき全国に130-40店あった百貨店のうち、女性店長は二人しかいなかったみたいで、就任時はメディアに取り上げられましたね。

ただ、芦屋店は、百貨店の中では、従業員規模も100−150名と小さい店舗でしたからね。


苦労が凝縮され、大きな学びの場となった芦屋店長時代
でも、小さい店舗がゆえ、何かやろうとしても、ヒト・モノ・カネがとにかく無い(笑)。今、振り返れば、苦労が全てこの期間に凝縮されてましたね。無いものばかりの中で、どうやって工夫するか、知恵を絞りに絞りました。

また、芦屋店は神戸店が母店だったので、当時の神戸店長がマネジメントの面で色々とバックアップしてくれて、本当に支えてもらいましたね。


廣田: ヒト・モノ・カネのない小さな組織体だったので、経営を学ぶには良い環境だったのかもしれないですね?!

柚木さん: 確かに。芦屋店の店長を経験できなかったら、マネジメントを舐めていたと思いますね(笑)。

芦屋店以降は、どの店舗も環境が恵まれていると感じられて、常に感謝できましたからね。

異例の若さで札幌店長、役員就任へ
芦屋店では4年間店長を務め、その後、47歳で札幌店長に就任します。

いつ頭角を現したのかって何度も聞くから言うけど(笑)、そのとき役員に昇格しましたが、それまでの役員は55歳以上の方が多かったから、このときは、確かに早かったと思うわ。

廣田: 凄いですね。初の女性役員で、しかも、圧倒的に若かったんですね。これは、芦屋店での活躍が評価されたのですね?

柚木さん: 芦屋店の売上規模は100億円程度と小さく、いくら頑張っても倍にしたりとか、華々しいことは難しいけど、その中で、例えば、営業利益率を5%以上にするとか、効率化を図るとか、多分そういうところを評価してもらえたのかもね。

 

後編を読む―――――――――――――――――――――――
【プロフィール】
柚木 和代(ゆのき かずよ)

東京生まれ、兵庫県西宮市育ち。京都精華大美術学部デザイン科を卒業後、1983年3月株式会社大丸入社。パリ駐在などを経て2004年3月、初の女性店長(兵庫・芦屋店)に。2008年1月札幌店長、同年5月執行役員に就任し、2009年に年間売上高で北海道内百貨店首位に導く。2010年3月株式会社大丸松坂屋百貨店執行役員、2012年5月大丸神戸店長事務管掌、2015年1月社長特命事務担当、同年3月株式会社博多大丸顧問、同年5月株式会社大丸松坂屋百貨店常務執行役 兼 株式会社博多大丸代表取締役社長、2019年5月J. フロント リテイリング株式会社執行役常務(現任)、関連事業統括部長(現任)。趣味はロックライブ鑑賞。

 

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